リズム・スピード・パワーのお話=学習方法のお話(その1)=
言語学習と言語活動学習
コトバを学ぶときに、「言語」学習と「言語活動」学習とを区別して統一して学ぶべきだと、学生時代に影響を受けたある哲学者に教えられました。「言語」と「言語活動」の定義については、その哲学者のコトバも引用しながら追々紹介しようと思いますが、「言語」学習は、文法学習・語彙学習・文学鑑賞なども含めた学校での教育を通じての学習。そして「言語活動」学習は、自然発生的に母語を習得するように、リスニングやスピーキングという、まさに「活動」的なイメージでとらえてもらえれば、今日のところはよいかなと思います。リーディングを考える際に、語彙指導や文法訳読方式が、いわば「言語」学習。直読直解や速読を「言語活動」と、やはりコトバを「活動」的にとらえてもらえれば、さしあたりよいかなと思います。外国語を学ぶ場合、この「言語」と「言語活動」という両側面を統一して学ぶことが大切だとその哲学者は強調していますが、今は、これくらいにしておきます。
それで、今日は、主に「言語活動」学習のお話になります。
インプットの重要性 ークラッシェンの「インプット仮説」ー
「言語習得は、母語も外国語も言語内容を理解することによってのみおこる」とか、学習者の現在のレベルよりもわずかに高いレベルのインプットを理解したときに言語習得として進歩するのだ、というようなことをスティーヴン・クラッシェンという応用言語学者が強調していて、これを「インプット仮説」というのだと、本で読んだことがあります。「言語習得の必要十分条件は理解可能なインプットである」と。いわゆる「理解可能なインプット」(comprehensible Input)というやつですね。
なんてったってインプット
母語の場合の言語習得だって、お母さんのお腹のなかでのインプット(入力)から始まり、生まれてからもインプットを続け、いわば、沈黙期を経て、やがて突然、アウトプット(出力)を始めるわけですね。母語の場合と違って、外国語の場合、その習得が、人によって不十分だったり、でこぼこがあるものなのですが、外国語学習の場合も、まずインプットが重要なことは論を待ちません。第二言語習得論においてさまざまな議論があるとしても、インプットの必要条件性を否定する論者はほとんどいないと言われています。
そして、インプットという場合、リスニングとリーディングがあるわけですが、リーディングはもちろん重要な活動でリーディングを軽視することはできませんが、文字のない言語があるように、なんといっても音声が優先的になります。つまり、リスニングが最重要であり、第二言語習得を考える際、リスニングは欠かすことができない、ということになります。
これは、この「リョウさんの英語教室」の「教材のお話」においても、まずはリスニング教材を考えたいと思っている根拠でもあります。
インプット、とりわけリスニングの場合は、スピードが大切
ただし、外国語の場合、そもそも簡単に聞くことなんかできませんよね。ほとんど何を言っているのかわからない。
この点、リーディングのほうが、自由な速度で読むことができる。後戻りもできる。ところが、リスニングは相手のペース。母語話者が外国人にたいして「ああ、(あなた)外国人ね」と、フォーリナートークをしてくれるときもありますが、それでも、結構こいつ外国人のわりにわかってるなと思われてしまうと、母語話者の自然なスピードへと上昇してくる。そうなると、そのスピードに置いてかれるなんてことが頻繁に起こってくるわけです。
もちろんわからないスピードの速い英語を聞くことも全く意味がないわけではありません。そうした意味不明な音声にも脳は反応していると言います。でも、母語のような豊かな言語環境がないために、また、すでに母語をすでに習得しているということとも関係していると思われますが、ほとんどわからないスピードの速い英語を聞いても、効率は悪いし、そもそも楽しくないし、退屈でしょう。
これは我流のイメージに過ぎませんが、英語インプットの場合、実践的な意味で、リズム・スピード・パワーが大切だと、長年、痛感してきました。英語のスピードについていけない場合、それは、英語のパワー不足です。日本語の語順を克服し英語の語順の習熟を大前提として(これは本当に大前提です)、英語の語順に慣れて英語の語順を自動化しつつ、語彙力不足、イディオム力不足、英語文構造の習熟不足、そもそも英語音声や英語リズムの習熟不足、等々といったリズム感不足とパワー不足から、スピードについていけないことは頻繁に起こります。
それでも何といっても、とりわけ言語活動学習の場合、スピードが肝心なのです。
スピードについていくためにはパワーとリズムが重要
したがって、トレーニングとしては、精読や文法力向上ももちろん重要であり必要なのですが、スピードを極端に落とすことよりも、スピードは落とさず(といっても、語話者からしたらゆっくりとした、でもイライラしないスピードくらいなのですが)、60%から80%くらいわかる内容のものをリスニングしたほうが、効率がよいし、そもそも学習者に楽しいはずです。
繰り返しになりますが、スピードについていくためのパワーとは、語彙力や文法力・異文化理解力・精読力等が必要になります。英語のスピードについていけないと絶望するときは、必ず、語彙力・文法力・異文化理解力・精読力等々、そうした総合力の穴埋め作業へと戻らなければなりません。
リズム感とパワーがないとスピードについていくことはできないと書きましたが、前者のリズム感とは、やはり英語は、日本語とは距離のかなり隔たった言語ですから、音声的にも大いに違うわけです。これをリーディングで例にとると、英語の単語と単語にはスペースが置かれて分かち書きで印刷されていますが、実際の音声は、けっして分かれているわけでなく、単語と単語の発話がくっついてしまって、音声的なうねりをつくり、いわゆるリンキングということが起こります。be going to が gonna と発音されたり、want to が wanna と発音されたり、これらはほんの一例にすぎません。それが文となれば、さらに弱強のついたうねりとなるわけですね。それが文と文ととなれば、さらに、うねりが生まれて、いわばそれが大波となる。そうしてサーフィンではありませんが、学習者は大波に落されるということになります。これは、なぎや、小波、さざ波なら、サーフボードに乗れるようになったサーファーも、本格的な大波には乗れないようなものです。
聴き取れない理由2つ ーそもそも未知の単語という場合と、既知の英語であっても音に慣れていないことで聴き取れない場合もあるー
したがって、そうした英語の音に慣れていないと、例えば「なんといっているのかわからないので、書いてくれませんか」と母語話者にお願いして書いてもらって、そのテキストを見ても、「そんな単語、知らない。今まで見たことも聞いたこともない」となれば、これは、明確に、学習者の語彙的なパワー不足が原因です。読んでもわからないものを聞いてわかる道理がありませんね。ところが、「ああ、なんだそんな易しい単語を言っていたのか、その単語なら知っているよ」ということも頻繁に起こるのです。こちらは、前者と違って音声上の課題を学習者が克服できていないことから起こる現象に他なりません。だからこそ、リスニングのインプットをたくさんして、英語の音に慣れる課題があるのです。
映画の台本を自分でディクテーションしてみた昔の思い出
私のつたない経験でも、映画のシナリオが手に入らない、かけだし英語教師の頃に、映画を自分で教材化しようと、母語話者の協力を得てディクテーション(聴き書き取り)を何本か試みたことがあります。力不足から私がディクテーションできなかった箇所は、単語としては知っているけれど音声的に聴き取れない場合(強弱のストレスでいうと、英語の文で弱音化されることの多い機能語など聴き取れなかったことを覚えています)と、そもそも未知の語句であった場合とに、だいたい分かれました。
くり返しになりますが、学習者にとって、英語の音声とリズムに習熟することはたいへん重要な課題であるのです。
この意味で、聞いたものを書いてみるというディクテーションは、英語の勉強方法として高校生にもおすすめです。
その際に、正解となるテキストや英語字幕が必要になりますよね。近年、英語学習者用の YouTube には、学習者に必要な字幕付きの動画もたくさんありますし、そもそもYouTube 自体も、不正確な箇所も多いですが、テキスト自体をダウンロードできるようになっています。中上級者になれば、その間違えを直すことだって勉強になるはずです。
録音されたコトバを書き写した記録であるトランスクリプトは、英語学習者にとって、必需品といえます。
内容のわかる教材をインプットしたい
さて、スピードは落とさず、60%から80%くらいわかる内容のものをリスニングしたほうが、効率がよいし、そもそも楽しいと思いますと書きましたが、昔は、インターネットも YouTube もないときは、つまらないなと思える教材でも、お金を払って買った教材だから、捨てるわけにはいかないし、またそれしかないのだから、つまらない教材を我慢して読んでみたり、聞いたりするほかありませんでした。けれども、いまは玉石混交とはいえ、YouTube 上に、「教材」が爆発的に増えています。どのようにして、自分の英語力のレベルに合った興味のもてる教材を選んだらよいのかという問題はありますが、興味のもてる、自分の英語力に合った「教材」は、昔よりは確実に存在しているといえるでしょう。興味ある、自分の英語力のレベルに合った、理解がついていけるインプットに励む条件は整っています。
インプットを優先しつつ、必要性のあるアウトプットの言語環境があれば、習得は確実に早まるでしょう。
大切なことは、理解可能なインプットと必要性のあるアウトプットなのです。
リスニングを強化すると、リーディングも強化されます
相手が勝手に相手のスピードで喋ってくるのを理解しなければならないリスニングと違って、リーディングは、自分が自由に時間を使って読むことができます。リスニングはスピードが重要で、そのスピードについていくためのパワーとリズム感を養っておく必要があります。
これは、いわばトレーニングであり、パワーとリズム感を養成するために、いわば自主的ジムに行って鍛えないとなりません。
一方、リーディングは、自分が自分のペースで時間を使えますので、一語一語拾って読むことも、後戻りすることも、時間をかけて構文分析もできます。こうした外国人としての精読は、母語話者でない者としては仕方のない必要な作業なのですが、そうした段階から、なんとか直読直解のリーディングへと飛躍したいものです。いわゆる文法訳読法(GTM)でもなく、いわゆる翻訳でもなく、頭から、英語の語順で読んでいける英語力ということです。母語話者のような遅い読者スピードが、母語話者でない私たちにとっての「速読」となるような読み方です。
この段階になると、印刷された英語の文字を、ひとつひとつ拾って読むような読み方は卒業し、いわばリスニングのようにリーディングするような感じで読むことが可能になるので、これはわたしの造語になりますが、「理解のともなう音読」が可能となります。自分で音読して、音読は音読、理解は理解とバラバラになっているのではなく、音読しながら理解するという段階になります。同時通訳の草分け的存在である故國広正雄氏は、音読のススメをされていて、「只管打坐」ならぬ「只管音読」を強調されていました。「理解のともなう」音読の次には、さらに、音読せず、黙読でも理解可能となれば、いよいよ母語話者のスローリーダーに近づくということになります。
ということで、けっして簡単なことではありませんが、リスニングを強化すれば、リーディングも強化されるというわけです。
理解可能なインプット教材をさがそう
人には、個性というものがあります。
あなたは、世界にあなたしかいない存在ですし、あなたの内なる世界が重要なのです。
だから英語を学ぼうというとき、一般論はもちろんありますが、あなたにこそ合った教材がきっとあります。あなたの興味こそが決定的なのです。
たとえば、野球に興味があるとすれば、MLB。
料理に興味があるとすれば、料理番組。
アニメに興味があれば、アニメ映画。
何でもよいのですが、友人と話すときは、日本語で楽しく話す。
アメリカ人やイギリス人やオーストラリア人、ニュージーランド人に、自分のことを聞いてもらいたいなぁと考えるときは、下手でも英語でアウトプットしてみる。最近は、AI も機械翻訳もあるので、翻訳など、結構簡単にできてしまいます(もちろん機械翻訳を使う場合も、機械翻訳を使いこなすための英語力は必要不可欠です)。
そんなときに、言語は、あなたの強力な道具となってくれるでしょう。
ということで、まずは、あなたにとっての、理解可能なインプット教材を探してみてはどうでしょうか。