NZは テ・アラロアのマオリのトータルエマ―ジョンスクール訪問=英語やっててよかったシリーズ(その1)=
英語をやってて楽しかったことが全くなかったわけじゃない
高校教師としては楽しかったな。知らないことを学んで伝えることが楽しかったから。高校生たちもきちんとした生徒が多かったし…。
じゃ英語教師としてはどうだったのか。
これはおそらく何度も書くことになると思うけれど、英語のアウトプットって、日本国内で、そもそも必要なのでしょうか。それに、これも何度も書くことになると思うけれど、日本語との言語的な違いがあまりにも大き過ぎて、英語という奴は簡単にマスターできない…。長年英語教師をやってきたのだけれど、気分的には晴れることなく、常にもやもや感の残る毎日だった。
それでも、英語をやってて良かったと思えることが全くなかったわけじゃない。英語をやってて良かったと感じた数少ない経験を書き残しておくのも精神衛生上よいことかもしれない。人間、忘れやすい生き物だからね。
ということで、「英語をやっててよかった」シリーズです。
20年前のニュージーランド滞在の思い出
2004年から2005年にかけて9か月弱、ニュージーランドに滞在していた。教員として恵まれていたという他ないが、高校英語教師としてこれがアメリカ合州国に次いで二度目の海外研修で、北島のハミルトンにあるワイカト大学をベースキャンプにして、あちこち車でフィールドワークにも出かけておりました。
以下は、そうしたフィールドワークのひとつ、全教科をマオリ語で教えるトータルエマ―ジョンスクール訪問記です。とくに、なんで英語やるのと疑問に思っている高校生や大学生に読んでもらえれば嬉しく思います。
ニュージーランド北島・東海岸のテ・アラロアをめざして
ニュージーランドは北島の東海岸地域にある東岬(イースト・ケープ)。その近くに位置するテ・アラロア(Te Araroa)という町も、東海岸の他の地域と同じように、マオリの影響の強い地域だ。こちら東海岸の、とりわけ人里離れたところとなれば、観光客もめったに訪れることはない。そのテ・アラロアのトータルエマージョン・スクールを、明朝、訪問する約束をした。トータル・エマージョン・スクール訪問は、ネイピアのエマ―ジョン・スクール訪問に続き、二度目となる。知り合いとなったマオリの女性教師のとりはからいで、今日はマラエに泊まることとなった。マラエはマオリにとっての重要な集会場だから、マラエに泊まってもよいということは、ひとまず歓迎されたということになる。
町から離れると、舗装のされていない道路となった。埃を蹴散らし埃まみれになって、海岸沿いのマラエめざして車を走らせる。一度道を間違えて別のマラエに行ってしまったのだが、海岸につながる川を何度か横切らないといけなかったようだ。間違えたそのマラエで正しい道を教えてもらって、車で丘を登っていくと、海まで道を見下ろせる素晴らしい景色の場所に出た。
このマラエには、牛がたくさんいる。
ところでマラエには鍵が閉まっていて誰もいない。仕方がないので、マラエの前に広がる海岸線の砂浜に泊まることに決めた。浜辺に釣り人のキーウィが一人。「ここでキャンプしても構いませんか」と尋ねると、全く意に介さない様子で、「今日はいいキャンプ日和だね」と言われた。安くて気軽に泊まれるホリデイパーク(キャンプ場)ばかりでキャンプしてきた私としては、キャンプ場以外でキャンプをするのはアオテアロアでは初めての経験だ。
それにしても、私の愛車・インプレッサは見事にキーウィ(ニュージーランド人)の車になった。車体全体も埃まみれだが、とくにうしろの窓は埃だらけで、内からはもちろん外からも何も見えないというありさまだ。
テ・アラロアのトータル・エマージョン・スクール訪問
翌朝になって、浜辺でのキャンプだったから施設的に充実しているはずもないが、目覚めはよかった。
再度舗装されていない道路を走り抜け、約束の9時30分、学校にたどり着いた。
訪問してみての第一印象は、ここの学校のマオリの子どもたちも、眼を輝かせている子どもたちばかりであるということだ。
最初に見学したクラスは13人くらいのクラスだったが、分割授業のようで、通常は26人くらいの規模だという。
大学並みに、テレビ映像と音声を使って、遠隔地との共通授業をやっていた。私が見学したものは数学の授業だったが、これはとくに数学の授業は、マオリ語で高度なレベルまで教えることのできる教師が少ないことが理由だという。少ない資源をどう使うのか、どう管理すべきかという点で、アオテアロア・ニュージーランドは、融通が利くようになっている。
マオリ共同体に歓迎されるときのルール
授業を見学していると、フランス系のマオリの男性の先生が、私に向って挨拶をし始めた。やっつけに過ぎないがマオリ語初級をワイカト大学で学んだおかげで直感的に理解したが、これは、マオリの正式の挨拶だ。マオリが訪問者を招き入れるときに、日本の戦国武将ではないけれど、「ヤ―ヤ―我こそは」と、まず自らの氏(うじ)素性を明らかにし、次いで訪問者の氏(うじ)素性を明らかにさせてから、共同体に招き入れる儀式だ。
マオリ語だから、もちろん彼の話の全部はわからない。だが、すでに引っ込むこともしり込むこともできない。スピーチをお願いしますねという事前の相談はもちろんなかったが、これは私もスピーチをしないといけない流れである。マオリの子どもたちも、座っている私の方をじっと見ている。私も堂々とスピーチをしないといけないと腹を決めた。
私が挨拶をする番だと促されたので、戦術というと大袈裟だが、私は子どもたちにアピールしうる方法を採用することにした。
まず簡単なマオリ語による挨拶。マオリ文化では、どこから来たのかという地域性と、何者なのかという血縁性をとっても大事にする。この辺りの情報自体に、私も含めてすでに無国籍化した日本人にとっては自覚が薄いので大変困るのだが、その辺を無理やり強調して述べて、氏名の紹介と同時に、「ご機嫌いかがですか」「現在は、キリキリロア(マオリ語でハミルトンのこと)に住んでいます」などと、マオリの子どもたちのコトバで、彼ら彼女らに話しかけ、それからわたしの母語である日本語で挨拶をし、それから英語に切りかえて、多くを英語で話した。
もちろんこれは、子どもたちのコトバである相手のコトバにまず敬意を示し、次に自分のコトバに対する誇りを示すと同時に、私が君たちと違う社会から来た人間であることを明確に示し、そして悲しいことにと付け加えるべきか、英語があなたと私の共通語(リンガ・フランカ)であるから、英語で多くの情報を共有化するという戦術をとったということだ。
自己紹介のつづき
それで話す内容だが、マオリ社会と日本社会には、違いと共通性があると考えてきた私は、これら2つにしぼって話をすることに決めた。
自己紹介の続きとして、25年間わたしが英語を教えてきた高等学校は、私立の男子校で、1クラス45名もいること。1学年16クラスもあり、全校で2000人も生徒がいること。これだけでもマオリの子どもたちにとって驚異的な状況だ。
生徒たちは、朝の8時35分に学校に登校し、3時10分まで授業をおこない、その後クラブ活動に勤しむ生徒が多いこと。
クラブ活動は、アメリカンフットボールから、フェンシング、ラグビー、バレーボール、バスケットボール、サッカー、ハンドボール、重量挙げ、テニス、卓球、体操、野球と何でもあること。ラグビーでは、なかなかキーウィに勝てないことも、お世辞としてつけ加えておいた。
そして興味があるであろうマーシャルアーツ。柔道、空手、剣道など、そしてブラスバンドと、様々なクラブ活動があることを伝えた。
次に私は自分の名前をホワイトボードに漢字で書いて、日本は中国から学び、言語的に恩恵を受けていること。それぞれの漢字に意味があることを伝えた。日本の漢字には「窓」のように見える「田」という文字もあるけれど、これは「窓」ではない。いったい何を表わしているのか、誰か分かりますかと子どもたちに問いてみた。当然マオリの生徒にわかるはずもないのだが、子どもたちは積極的にいろいろと答えて来る。私はひとつひとつの答えに対しマオリ語で「カオ(いいえ)」と言って、「お米に関係します」とヒントを与えた。正解は、言うまでもなく、「田んぼ」(rice paddies)である。 日本人にとって米は常食であり、食文化の中心をしめる大切なものである。それは、ちょうどマオリにとってのクマラ(さつまいも)に当たり、ネイティブアメリカンにとってのトウモロコシに当たるだろうとつけ加えた。
続いて、さらに言語のお話。
マオリ語の母音がアエイオウであることはもちろん子どもたちは知っている。一方、日本語の母音はどうかといえば、アイウエオであり、順番が違うだけであることを私はマオリの子どもたちに教えた。母音と子音の組み合わせで、アイウエオ、カキクケコ、サシスセソと、系統的・組織的であることから、母音の発音と日本語の発音はマオリにとって簡単であることもつけ加えた。 さらに、ひらがなと、カタカナの仕組みの説明に移り、日本語は、漢字とひらがなと、カタカナの三つがあるから、「日本語より、マオリ語は簡単ですよね」と、マオリの子どもたちに勉強をうながす、教師くさい助言をつけ加えた。
「あなたはコトバをいくつ話せるのですか」
話の途中だったのだが、質問がさまざま出されたので、休憩代わりに答えることにした。
マオリの子どもたちは、私のマオリ語に対する熟練度をとうに見破っているので、マオリ語と英語と半々で、質問してきてくれる。その中に「あなたはいくつのコトバを話せますか」というのがあった。この質問に対して、私は、三つのコトバを話せるなどとは口が裂けても言えない。「私が責任を持てる言語は日本語だけです」と言う他なかった。私の本意は、英語も話すが、責任はもてない。マオリ語も少々話すが、マオリ語にももちろん責任を持てないということだ。
マオリの子どもたちで驚くべきことは質問が絶えないことで、子どもたちの興味・関心は旺盛だ。学びの姿勢として、これはとても重要なことだ。 「日本語で、数字を教えてください」という要望が出されたので、ホワイトボードに1から10の数字を書いて、私は次のように発音をした。
まず、マオリ語で、タヒ・ルア・トル・ファー。タヒ・ルア・トル・ファーと、次第に速度をあげて何度も発音した。次に、いち、に、さん、し、ごう、ろく、しち、はち、きゅう、じゅう、とゆっくりと発音してから、1234、5678、910と、区切って、早口に発音してみた。
子どもたちには、これが受けた。しかも、子どもたちは、私の早口に対して結構ついてくる。
コトバはゆっくりやればいいというものではない。リズムが大事だからだ。ときに早口の方が、コトバが頭に入ることがある。コトバはリズムなのだ。
日本とマオリの違いと共通性
さて、次に、こちらに来て、私なりに観察し発見したことを柱に話してみた。
ニュージーランドではなく、アオテアロア、つまりマオリの文化と日本の文化にはかなりの共通性があると、私なりの観察を述べて、何が共通点であるかわかりますかと、マオリの子どもたちに聞いてみた。様々な答えがマオリの子どもたちから飛び出して来たが、私なりの答えとしては、島国であること、火山国であること、温泉があること。日本人は温泉が好きであること。海が冷蔵庫であり、海産物、とくに生の魚を食べること等を話した。日本人が生(なま)の魚、刺身や、鮨(すし)が好きなこと。とくに、キナ(ウニ)や、アワビ、ウナギ(ツナ)の話をしたら、子どもたちは大喜びだった。マオリのクラスメートから生のマッスルを食べることを教わったこと、そのことに感謝していることも、マオリの子どもたちに伝えた。
授業らしき挨拶の最後に
さて、授業の終わりのほうで、ワイアタ(歌)を子どもたちが披露してくれた。
子どもたちのリクエストで、何か唄を歌ってくれないかと、男性教員を通じて言われたので、実に私は恥かしがり屋であるのだが、「ギターはありませんか」と男性教員に尋ねた。
私は子どもたちに、「恥かしがり屋の性格ですけれど、みなさんのご要望にこたえて唄を歌います。その代わり、みなさんの写真を私に取らせて下さい。これは取引です。いいですか」と聞いたら、みんな「アイ(はい)」と言ってくれた。
マオリの子どもたちは、いい子たちばかりだ。こうしてテ・アラロアにあるマオリのトータルエマ―ジョンスクール訪問は私にとってかけがえのない素晴らしい体験となった。
英語を母語としない者どうしの交流のための道具として英語が大いに役立ったという意味で、英語を学んできて良かったなと思えた瞬間であった。