アメブロ「こえの投稿」で同じ内容を声で3分紹介をしています。
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昨夜。
ある場面で「闇」という表現が出てきた時、いつもと違うアプローチをしていることに気づいたので、覚書的に書いてみます。
「闇」から想起されるもの
いつもなら「とにかく暗い」「光と影」みたいな言葉やイメージが頭の中に並ぶのだけれど。
思い浮かんだのは「陰極まれば、陽と転ずる」という言葉と芸(アート)での表現についてでした。
仮に闇にとことん焦点を当てた時に、どんな表現になっていくだろう?
ちなみに、最近の歌って投稿している「こえのブログ」は芸やアートとしてわたしが表現しているというよりも、何らかの表現をなぞっているだけのようなものですが。
芸(アート)は光も闇も、酸いも甘いも表現のひとつになるのだけれど、
「闇を表現することで昇華」される、というのもひとつの解釈。
でもそれだけではないなぁ、と。
次に思い起こしたのは、一度経験したことのある長野県 善光寺の戒壇めぐりでした。
闇に身を置く
階段を下ると、その先はまさに闇。
手探りを僅かな手掛かりにしながら、感覚だけで進んでいく。
思考よりも感覚が優位に働きます。
あの時。
闇の中で、ただ自分の感覚だけ、自分だけに集中していたのだけれど。
何を感じていたんだっけ?
周りが見えない。
出口も見えない。自分の意志で「闇」に進み、しばらくすると。
途中で「本当に出口に着くのだろうか」という不安も生まれてくる。
それでも前へ進む。
そして、出口(光)に着く。
もしかしたら、これが「陰極まれば、陽と転ずる」が表現されている?
ここまで思いめぐらせたところで「対極」って一見相反する全く違うもの、かけ離れた2つの事象だけど、実は一周回って一緒とか紙一重の関係のような気もしてきました。
そして、表現では、一旦闇に身を置き何かを感じ、その後光ある所へ行く一連の何かを表しているということなのか。
闇から連想するネガティブさや怖れ、不安の基も少し感じられたような…
真夜中でまさに周りが闇に包まれている時間の思考は取り留めないものですね。