![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/167523143/rectangle_large_type_2_ef48ef24a14e17f5fec5503e511b5eda.png?width=1200)
ご縁はやって来るのか、取りに行くのか
これまでにもたくさんのご縁のおかげで、楽しく過ごしてきた。
仕事の飛躍に繋がるものや、楽しい時間をご一緒していることもある。
多くのものごとが偶然の連続だと思ってきたので、勝手にご縁というものは向こうからやって来るものだと信じ込んでいたのだけれど。
先日、ふと浮かんできた。
「はて、ご縁はやって来るのか。それとも取りに行くものなのか。」
ことの発端はいくつかあるけど、一番大きいのは今年のあらゆる出来事を一掃するくらいの我が家の個人的ニュース「猫が我が家にやってきた」ことで、新しい家族が増えたことだった。
わたしや夫は実家で犬や鳥、金魚などなど、ペットを飼育した経験があって何度か何か飼う?という話は出るものの、実現までには至っていなかった。
動物はかわいくて、いたらきっと良いだろうなと思う反面、いると旅行はどうする?お世話が誰がするの?と不安も付きまとう。だから、かねてから子どもが「ねこが飼いたい」と言っていたものの、二の足を踏んでいたし、実際に保護猫の譲渡会や猫カフェへ足を運ぶものの飼う決断には至らなかった。
いつも子どもに「ご縁があったら飼おうね」と言って、飼うに至らないのはご縁が無いから、ということにしていたのだが。
ある時、近隣で譲渡会の開催を知って、子どもと「行ってみる?」と何となくで行くことにして、そこで今わが家に暮らす猫と出会った。
抱っこしてもすぐ降りて特に愛想の良いわけでもなかったのだけど、子どもと話すと「あの子が良い。飼いたい。」。
いつもだったら「可愛かったね」と言って帰宅、だったけどこの日はエントリーまでして、色々と準備して迎えた。
迎えてひと月以上経っても人にはまだ警戒気味だけれど、来た当初からくつろいではくれているようなので、気長に仲良くなろうとしているところ。
さて、主観ではあるけど今回の一連のエピソードのなかで起こったことを整理してみると、こんな感じ。
偶然起こった(やって来た)こと
⇒ 譲渡会の存在を知る
⇒ うちに来ることになった猫に出会う
意図して起こった(取りに行った)こと
⇒ 譲渡会に行くこと
⇒ 猫を迎えると決めたこと
ご縁があったら
先ほども書いたように「ご縁があったら」は本気で言っていた。
色々あるけど、ペットについてわたしはペットショップで飼うことには積極的ではないから、たまたまやって来たご縁だったら受け取る、くらい消極的。
しかし、最近は公園で段ボールに入れられた子猫に出会う(ちなみに、わたしは小さい頃からそのシチュエーションに出会ったことがない)、とかSNSで時々見かけるたまたま出会うみたいなシチュエーションに出会ったことがない。
だから、今回のエピソードも半分「偶然やって来たご縁」とも言えるし、かねてからご縁があれば飼おうくらいの小さな意思から「意図的に取りに行ったご縁」とも言える。
どんなできごとも、どちらかの色合いが濃いことはあるだろうけど、偶然と意図の入り混じった状況かもしれない。
2025年もご縁ある、さまざまなことに関わることになるのだろう。
山で修行する行者さんは修行中は何を言われても「うけたもう!」の言葉しか言ってはいけないと聞いた。
あらゆることを受け入れる覚悟を求められ、受け入れた上で行動せよ、ということだそう。
これを今年聞いて、わたしも受けたもう!という気持ちで臨んだ(と思う)。「受けたもう!」は2025年も大切なキーワードとなりそうだ。
いいなと思ったら応援しよう!
![ゆもとりえ (あわい舎)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/16023436/profile_82cef83d04ddf59853afc4ea2e49c2e9.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)