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認識していないものの存在を知る夜明け

この夏、夜明け前に停電に遭った。
暑くて目が覚めるのはこの頃よくあることで、半分夢の中のような状態でタイマーの切れたエアコンか扇風機を回そうとスイッチに手をやる。

だが、動かない。
異変を感じるが起きがけだからか、しばらく何が起きているのかがよく分からずに狼狽えるばかり。

スマホのライトを頼りにブレーカーを確認して、ようやく停電ということに気づいた。
以前も一度体験したことがあるので、静かに復旧するのを待つしかない。

改めて、部屋で佇みながら「電気が止まっている」以外にいつもと違う感覚を感じていることを認識した。

この感覚はなんだろう?
電気以外の何が違っているのだろう?
明け方だから静かだ。
でもいつもの静かさとはまた違っている。
さらにもう一段階深い静けさというのだろうか。

結局、その時は分からないまま。
少しずつ白む空を「時間は確実に進んでいるんだな」と思いながら見ていたら復旧した。一斉に動き出す機器。
良かった、とわたしもまた日常を取り戻す。
暑いが、太陽が出る前だったので日中の暑さに比べたらまだなんとかなった。

「停電、大丈夫だった?」
「いやー、ばっちり停電に遭いました」とその後しばらくは、会う人と停電の話になることもしばしばあった。

ある日も停電話の流れで、あの時に感じた感覚も話したら、そこで「それって、電気製品が放つ小さなノイズが停電でなくなったからではないか」と言われ、とても納得。

日本の中では、今やほぼどこでも電気を使う何かがあって暮らしを支えている。
電気が使われている所では、普段全く認識しないレベルのノイズが発せられているのだ。

停電で、その音とも気配とも認識されない存在が一切無かったことで認識することになったのだろう。

ああ、あれが電気の無い世界だったんだ。
停電自体も最近はあまり体験する機会は無かったが、これまでと違ったのは、電気が無いという状態がこんな風になるものなのだということを感じたことだった。

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ゆもとりえ (あわい舎)
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