アフターコロナの都市像
本日朝のニュースをNHKプラスで見ていたら、建築家の隈研吾さんがインタビューで示唆に富む話をされていた。
新型コロナの影響で、建築ではホールドプロジェクトが多発し、仕事に大きな影響が出ている。同時にこれまでの建築を振り返るきっかけになった。カギは「ハコ」からの脱却である。
これまで建築はコンクリートやガラスでできた気密性の高い建物という「ハコ」を作ることに終始した。多くの人を1か所に集め効率的に仕事をさせるために大きく高い「ハコ」を作り続けた。しかし「ハコ」を作ることは結局人間を幸せにしなかった。
それが突然のコロナ禍で問題点が浮き彫りになった。コロナ禍で箱が避けるべき「密」の空間となったのだが、人が箱の中にいてストレスがたまっていたことにも改めて気づかされた。本当は、もう、ITの技術をつかえば箱に詰め込む必要などなくなっていたのに、相変わらず「ハコ」が便利だと思わされて人間は自分をどんどん不幸にしていった。
これからの建築は「ハコ」の外のことを考える必要がある。今まで庭師や都市計画の人に任せていた部分も見ていかなくてはだめだ。地面を歩く人間の視点で都市の空間を考えることが大切だ。
そこで頭に浮かんだのは、伝統的な都市住宅である『町屋』だ。路地につらなって建てられた低層木造建築は随所に外気を取り入れる工夫がなされている。建物密集にもかかわらず通気性を備えているのだ。町屋を手本に外と中が一体となった都市空間モデルを今の技術を使ってなら作れるのではないか。例えば都市には空きビル、空き家など見捨てられていた空間がたくさんある。そういった空間をうまく再活用してみたい。自ら例を見せたい。
隈研吾さんといえば、新国立競技場や高輪ゲートウェイ駅の設計で最近も大変話題になった方だが、従来より、木の優しさを生かした木造建築や自然との調和を重視されてきており、決して建築の❝箱モノ❞主義を是としてこなかった方だ。権威的でモニュメンタルな建築から最も離れたところに居る建築家からの『近代建築は、これまで箱を作ることに終始してきて、それが結局人間を幸せにしなかったかもしれない』という言葉は大変に重い。
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ところで、そうおっしゃる隈さんの設計された高輪ゲートウェイ駅は、withコロナを予見していたかのような、開放的でコンタクトレスな駅である。
無人決済の店舗やQRコードきっぷ適用の改札機、AIを活用した案内ロボット、コンコース内を清掃・警備するロボットも導入される。
レンガ造りの重厚な東京駅丸の内駅舎が富国強兵を急いだ近代国家のシンボルであったなら、開放的な空間に最新テクノロジーをそなえた高輪ゲートウェイ駅の駅舎および周辺はポストコロナ時代にふさわしい軽やかな都市像の嚆矢となり得るのではないだろうか。
高輪ゲートウェイ駅は既に山手線/京浜東北線で何度も通過しているのだが、今週末にでも駅に下車して、新しい都市像を考えながら散策してみようかと思う。