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青空が目前に迫るようだった街・ラサ(2014年7月)

昔使っていたデジカメを起動させてみたら、チベット旅行の写真が出てきて思わず懐かしくなってしまった。なんと訪れたのは10年前の夏だったらしい。

今もそうだと思うけれど、当時からチベットへは個人旅行が認められておらず、ツアー会社に申し込んで団体旅行で行かなければならなかった。旅行会社から入境証の発行が認められたと連絡があり、無事に旅行に行けることになった。青海省の西寧から入り、およそ24時間チベット鉄道に乗り、ラサに到着した。タクシーでホテルに移動する最中、ポタラ宮がチラリと見えて、夢中で写真を撮ったことを覚えている。赤と黄色と白を基調とした建物や街並みは、今まで見たどこの街とも異なっていた。頭上の青空は普段日本で見る空と違って青みがはっきりとし、目前に迫るように近く感じた。

チベットに行きたいと思ったのは、前年に見た「ヒマラヤを越える子どもたち」という映画がきっかけだった。チベット自治区では1980年代以降、子どもたちは親元から離されて寄宿舎に入れられ、中国語教育を受けている。子どもたちの親はチベットの言語と文化を失いたくないと考え、子どもたちをブローカーに預け、ネパールに亡命させている。映画は、冬のヒマラヤを越える子どもたちの姿をとらえたものだ。その後、「セブンイヤーズインチベット」も見た。チベットの人々が、どんな場所でどんな生活を送っているのか、見てみたいと思った。


ラサ駅


お土産物屋などが並ぶ通り


信心深い人はマニ車を持つ


写真を撮っているとポーズをとってくれた男性


ポタラ宮の入り口へ続く階段


技巧が凝らされた曼荼羅


色拉寺ではチベット僧による禅問答が行われていた


大昭寺の周りにはマニ車が並べられている


大昭寺で五体投地をする人々


老若男女が集まってダンスをする


チベットの人たちは写真に映るのが好きなようで、高齢の方は少し照れた顔をするのだけど、子どもたちはカメラを見るとすっ飛んできてポーズをとったりする。シャッターを切って、画面を見せると、満足げにニコニコしながら帰っていく。そのあどけなくて可愛いこと。

色拉寺では、数十人のチベット僧が禅問答をしていた。隅の方で、日陰で休んでいる僧がいて、中国人(漢人)の若い旅行者たちが勇敢にも話しかけていた。後ろから聞いていたら、どうやらチベット僧は「禅問答をすれば真理に近づける」という趣旨のことを言っているらしい。そこで中国人観光客が「行方不明になったマレーシア航空機の行方もわかるのか」と無理な質問をしていた。チベット僧は「修行を積めばわかる」と答えていた。本当かな。

マニ車の中にはお経が格納されていて、右回しに回すとお経を読んだことになるらしい。多くの人が文字を読めなかった時代に考案されたという。お寺に設置されたマニ車を右手で回しながら歩く人もいたし、自身のマニ車を持参してそれを回しながら参拝している人もいた。

五体投地とは、立った状態で手を合わせた後に、両手と両膝、額を投げ伏して祈る礼拝法。それを何度も繰り返して前に進む。大昭寺には、この五体投地をしながら1週間ほどかけてお寺を一周する人もいるという。そんなに長い時間をかけるのかと思い、私たちを案内してくれた若いガイドさんに「あなたも五体投地をするのですか」と聞いてみたら、「私も1週間かけて礼拝します」とおっしゃっていた。私は数日の休みを取れるなんて何年かに一度といった生活をしていたので驚いたし、1週間休めるならば他のことに時間を使えばいいのに、などと失礼なことを思ってしまった。しかし考えてみればそれほどの時間を祈りに捧げるなんて、豊かな時間の使い方だ。大昭寺の空気がとても好きで、その次の朝も一人で来てみたのだが、早朝から静かにお祈りをする人たちがいて、厳粛な雰囲気だった。

たった1週間の旅行だったけれど、チベットの文化と宗教の豊かさを存分に感じた。しかし、その文化を次世代に引き継げないとしたらどんなふうに感じるだろう。そんな質問は直接はしなかったが、今でもこの旅行を思い返しては、あの時会った人たちは今どんな暮らしをしているだろうと考えている。

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