クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナ旅行の記録(2022年7月)
修士論文の締め切りを前に、短い期間ながらクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナを訪れました。クロアチアは「アドリア海の真珠」と呼ばれるDubrovnik(ドゥブロヴニク)へ、またボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の傷跡が残るモスタルにも訪れました。
ドゥブロヴニク城壁
ドゥブロヴニクといえば、青いアドリア海と、連なるオレンジ色の屋根の家をイメージされると思います。街に到着後、翌朝にさっそく訪れました。旧市街地区に入るのは無料ですが、城壁の上を歩くにはチケットが必要です。私が行ったときは250クーナ(5千円ほど)でした。
城壁には3ヶ所から入れますが、私は西側のピレ門から入り、海側を見てから最後にミンチェッタ要塞を見るルートを選びました。地図を見る限りそんなに広そうではないし、すぐ一周できるだろうと思いきや、思った以上に登り下りが多く、しんどい1時間半でした。当日体調が悪い方や、体力に自信のない方は、無理せずに途中で止めることをお勧めします。
ミンチェッタ要塞がひときわ階段が多く、照りつける太陽の下ふらふらになりながら登りましたが、ここから見た景色はまさにドゥブロヴニクのイメージ。がんばって登ってよかった〜と降りてきましたが、立ち止まると汗が止まらず、慌てて近くの売店に駆け込んで水を買いました。特に夏に旅行される方は、こまめに休憩して水を摂っていただくなど、くれぐれも熱中症に気をつけてください…!
ボスニア・ヘルツェゴビナのメジュゴリェ
翌日は、ドゥブロヴニクから出発してボスニア・ヘルツェゴビナの各都市を回るバスツアーに参加しました。バスに揺られて数十分で国境に到着すると、ボスニア・ヘルツェゴビナへ。この間はパスポートを預け、参加客たちはバスの中でしばらく待ちました。
モスタルに行く前に、Medjugorje(メジュゴリェ)という聖母マリア伝説がある街に寄りましたが、突如「2時間の自由時間です!」と言われ、バスがいなくなってしまいました。viatorは、たまに適当なツアーがあるんですよね。私は一人で参加したので、バスの集合場所が分かるか不安でしたが、無事に合流できてよかったです。
モスタル
そこから、モスタルという街へ。モスタルは、オスマン帝国とその後のオーストリア・ハンガリー帝国の傘下にあった街で、当時の建築群が残っていることから、1970年代から80年代にかけてはボスニアの一大観光地だったようです。1992年から93年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時に、ユーゴスラビア人民軍から激しい攻撃を受け、修道院やモスクなどが破壊されました。また15世紀に架けられた橋「スタリ・モスト」は、クロアチア軍によって破壊された後、2008年に再建されたと言います。
スタリ・モストを見た後、近くのお店に入り、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争について話を聞く時間がありました。その後、自由時間に、Museum of War and Genocide Victimsという博物館に入り、紛争中に亡くなった人の遺物や、ボシュニャク人が入れられた強制収容所の記録、その後のハーグ裁判などの展示を見ました。
紛争を経験した地元の人からのお話からは、たった30年前に民族同士で争った記憶の忌まわしさと、終戦後にがれきの街を復興させたという誇りをひしひしと感じました。あの巨大な橋を立て直すだけでもどれだけ大変だったのだろう。Museumを出ると、そこにはさまざまな国からの観光客で賑わう平和な街がありました。平和というのは人々の努力の上に成り立っているということを、モスタルの街で改めて感じたのでした。