サイモン・レンルイス「量的緩和が質的に重要であって量的にさほど重要でない理由」(2024年5月21日)

最近,量的緩和 (QE) がどんなところで重要な役割を果たしたかについて2つほど記事を書いた.たとえば,こちらの記事では,量的緩和が政府財政に大きな穴を開けることになりうる理由について書いた.また,政府がその気になれば国債を売るのではなく貨幣創出によって容易に財政赤字のお金を調達できることが量的緩和からどうわかるのか,という点についても書いた.今回の記事では,量的緩和が質的に重要である理由を解説する.

この10年のあいだに書いた記事のひとつも,類似の主題に関わっていた.緊縮の背後にあった主要な発想は,こういうものだった――「景気後退にあろうとも政府の財政赤字を減らさなくてはいけない.なぜなら,イギリス政府の債券を買うまいと債券市場が突如として判断するかもしれないからだ.」 この発想がナンセンスであることは,量的緩和で明らかになった.量的緩和は,より長期の金利を低く維持するべくイギリス政府の国債をイングランド銀行が購入する政策だった.だから,債券市場がイギリス国債を買わなくなったときには,イングランド銀行が量的緩和で介入するまでのことだ.パンデミックの時期に現にそうなったときには,「言わんこっちゃない」と私は言えたわけだ.もう少しつまらない水準では,学生たちに「貨幣乗数」について教え続けるのが馬鹿げている理由も,量的緩和からわかる.

しかし,量的緩和の存在はいろんな点で重要ではあるものの,量的緩和が量の面でどれくらい重要かというと,ずっと疑わしくなる.グローバル金融危機を受けて世界の主要な中央銀行で広く量的緩和が導入されてから,その効果についてはかなり突飛な主張も見受けられた.そうした主張の一部は,予想に難くない出処から来ていた.「MV=PV」の等式は無意味な恒等式でしかないことをいまひとつ信じられなかった人々は,こう主張した――「パンデミック後にインフレが高まったのは,パンデミックの間に量的緩和を追加で実施したからだ.」 これよりもさらに興味を引く事例は,『ニューステイツマン』の Will Dunn だ(彼の書くものを普段は私も好ましく思っているのだが).その題名は,「万物の量的緩和理論」とある.副題は,「30兆ドルの量的緩和の実験がいかにして我々の世界の様相を変えてしまったか――EU離脱から大手IT企業の圧倒的優勢まで」だ.この副題には,量的緩和が量的にとても重要だったという記事の主張が反映されている.

問題は,マクロ経済学でのものごとの捉え方では,本当に量的緩和はさほど重要ではないという点だ.量的緩和は,グローバル金融危機 (GFC) への対応と2010年緊縮期を語る際の脚註と言ってもいい.量的緩和が長期金利を下げる効果はほどほどであり,したがって産出を増やす効果も同様だったことが証拠からはうかがえる.だが,そうした効果が生じた理由についても,その効果がどれほど予見しやすいか,どれほど再現しやすいのかという点についても,定かなことを知っている人はいない.前にも述べたように,量的緩和がどれほど効果的だったかを推定するとき,中央銀行による推定は学術的な推定よりもずっと高くなりがちな傾向がある.また,中央銀行の経済学者たちには,その影響を誇張するインセンティブがはたらいている一方で,その逆に学者たちが影響を過小に見る理由ははっきりしない.

では,量的緩和は我々の世界の様相をどう変えたのだろうか? Dunn の書いた記事には,定性的に間違っている点はなにもない.彼が言うように,量的緩和では,長期金利を引き下げるのを狙って,中央銀行が巨額のお金をつくりだして,国債を大量に購入する.もちろん,中央銀行は短期金利を設定する.だが,2009年の金利はゼロ寸前にまで下がっていた.イギリス・アメリカそれぞれの中央銀行は,「金利はもう下げようがない」と感じていたため,彼らはもっと長期の金利を下げる方に力を注いだ(長期金利はゼロより上にあった).

先日の記事で解説したように,長期金利は現在の短期金利と将来の予想短期金利に大きく影響される(裁定取引を通じて).「需要と供給の牽引力を用いて長期金利をさらに下げるよう強いてやろう」というのが量的緩和の発想だった.先日の記事で解説したように,国債の金利を主に決定するのは需要と供給ではなく裁定取引なのだが,極端な状況では需要と供給がモノを言う場合がある.〔2022年秋にリズ・トラス英首相の政権が予算案を発表したところとくに長期金利が顕著に上昇した〕トラスの財政イベントの後に見られたとおりだ.あのとき,イギリスの年金基金は国債を売りたがったが,誰も買いたがらなかった.

そこで,中央銀行は量的緩和を用いて,国債を大量に購入してこれを稀少にすることで国債金利と予想短期金利の金利差を変えた.売りに出回る国債を減らすことで,買い手はいっそう低い金利も受け入れる態勢をとることになった.

こういうことをしていたのはなぜかと言えば,長期金利をさらに下げることで,企業が投資する意欲が高まるだろうと期待してのことだ.だが,他にも効果はあった.それは,資産価格の上昇だ:紙の資産を買って得られるリターンが減れば,その分,実物資産から得られるリターンの値打ちは上がる.このため,実物資産の価格は上昇する.このとき,〔そうした資産を多く保有している〕富裕層がいっそう富裕になるのは避けがたい.

このため,量的緩和によって富裕層の財産がある程度まで増大したのは疑いようがない.だが,それと同時に,中央銀行が必要に迫られて短期金利をゼロ近傍に下げ,さらにとても長いあいだずっとそれを維持しつづけたために財産の価値増大したのも事実だ.もしも量的緩和がまったくなされなかったとしても,住宅価格や株式市場は急激に高くなっていただろう,財産格差は劇的に開いていただろう.このため,世の中の富のうち富裕層が所有する割合が増えたとはいえ,量的緩和はその主な原因ではなく,むしろ氷山の一角だった.

財産格差の拡大を説明するときに量的緩和ではなく低金利こそが重要であることから,財産からの所得では失いつつも財産そのものの評価が上がったことで富裕層がなにを手にしたのかがわかる.この2点のうち一方だけを認識して他方を無視すれば誤解につながる.MMT 論者たちはいつも私にこう語る――「高い金利は富裕層を優遇するんだぞ.」 彼らがそう語るのは,所得への影響ばかりを見て資産評価への影響を見過ごしがちだからだ.

「どうして,短期金利がゼロ近傍にまで下げられたんです?」 なぜなら,第二次世界大戦いらい最大の景気後退が起きたからだ.「あれほど長いあいだずっと短期金利がゼロ近傍に維持された理由は?」 2010年から中国以外の主要国がそろって「緊縮」という財政政策をとったからだ.短期金利をあれほど長く低くしておくことになった理由は,緊縮にある.したがって,長期金利を長らく低くおさえ富の格差を広げた主な要因は,緊縮だ.

量的緩和ではなく緊縮こそを非難するのは,政治的な理由から重要だ.緊縮は,選挙で選ばれた政権が実施した政策だった.他方,量的緩和は選挙で選ばれたのではない中央銀行によって実施された「テクノクラート」色がもっと強い政策だ.一度として投票を受けて選挙で選ばれたことのない中央銀行によって実施される政策に広範な病理の責を認めるのは,厳しい非難であろう.基本的なマクロ経済学と大多数の学者の意見を無視して深刻な不況のさなかに政府支出削減を推し進めた政権にとって,「中央銀行に落ち度がある」という考えはたいへんに好ましかろう.だからこそ,主な責任は政権が実施した緊縮だという点を理解することが重要なのだ.

さらに,もっと細やかな主張をするなら,こういう言い方もある――「量的緩和は財産格差の拡大に小さいながらも一役買った」と是認しつつ,しかし,「量的緩和が存在したことで,量的緩和によって経済に影響を及ぼす力が自分たちにはあると中央銀行が言ったのを理由に政治家たちが緊縮を実施できるようになってしまったのではないか」という見方を提案するのだ.緊縮の影響について中央銀行が沈黙していたこと(さらには一部は推奨すらしていたこと)を強く批判している人物として,この主張を述べるのに私はなんら差し障りを感じない.ただ,この主張が成り立つとは本心から思えない.アメリカでは,共和党が下院を掌握したために緊縮がなされた.共和党は,とにかく公的支出を(防衛費以外は)削減したがっていた.ユーロ圏で緊縮がなされた理由は,政治家たちが緊縮をのぞんだことにある(とくにドイツの政治家たちだ).イギリスでは,2008年/2009年に労働党政権が財政の拡大に動いたことを〔保守党の〕キャメロンが批判していた.金利がゼロ下限に達していたのを無視した批判だった.

私としては,「グローバル金融危機いらいの財産格差拡大の原因は,大半が量的緩和にある」と主張するのは事実に関して間違っているし,緊縮を実施した政治家たちを無罪放免にすることにもなる.

また,量的引き締め (Quantitative Tightening; QT) との関連でも,これは重要だ.量的引き締めは,量的緩和の逆再生にあたる.量的緩和の影響を誇張すれば,その逆である量的引き締めの影響も大きく考えなくてはいけなくなる.そのため,Dunn の記事ではこう書かれているわけだ――「だが,トラスとクワーテンもまた,イングランド銀行が理由で失敗する定めにあった.まさに同じときに,イギリス国債をきわめて大量に売却する計画を彼らは立てていた.」 同じ論理で,労働党が政権をとって投資するために借り入れをのぞんでいたとしても,その財務大臣も,同様の問題を抱えていたことだろう.なぜなら,イングランド銀行は同時に国債を売却して市場に出回らせておかしくなかったからだ.

さいわいに,証拠はその逆を示唆している.近年のとある研究によれば,これまでに中央銀行が量的緩和の逆を実施してきたものの,長期金利に生じた影響はほんのわずかでしかない.なぜかといえば,ひとつには,そもそも量的緩和はそこまで強力ではなかったからだが,それだけでなく,元の量的緩和にくらべて量的引き締めはずっと緩やかに進められているからでもある.「トラスの財政イベントに起きたことに量的引き締めがなんらかの役割を果たしたのではないか」という見方を提案するのは間違いだと私は思う.また,「将来の労働党政権が投資のために借り入れをする際に,量的引き締めによってその借り入れ能力に実質的な影響が生じるのではないか」と言うのも間違っていると思う.

量的緩和はいろんな点で興味深く重要ではあるものの,世界を一変させてはいない.


[Simon Wren-Lewis, "Why Quantitative Easing is qualitatively important but quantitatively not so important," mainly macro, May 21, 2024]



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