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生き辛い人を包み込む温かい紀行文
良かったなぁこの本は。温かい本だった。
テレビとラジオからはわからない若林正恭の思想が詰め込まれた名著。
予想外に、この紀行文では、「新自由主義」や「資本主義」、「社会主義」という単語が繰り返し繰り返し、何度も出てくる。
経済学部生には慣れ親しんだ?言葉であり概念である。
それは決して表面的ではなく、しっかりと「わからない」なりに実態を捉えていた。
さながら「経済思想」の本のようであった。
よく勉強されている方だと思った。
若林さん、どうやら東大の院生からカフェで社会や経済、歴史のあれこれを学ぶために個別指導を受けているらしい。
素晴らしい知的好奇心である。
先ほど、さながら経済思想の本だといったが、一方で、エキサイティングで濃密な「紀行文」でもある。本書は紀行文として書かれたのだ。
本書を通して「海外じゃなくてもいいから、知らない土地へ」。
そんな気持ちにさせられた。
若林さんの趣味は散歩であるらしい。
私も散歩が好きだ。
知らない場所だからワクワクする。
そんな思いにも改めて気づく。
冒頭で、温かい本だった。と述べたが、これこそポイントだと思っている。
どういうことか?
それは、若林正恭という人間が、「自分を見つめ、父を想いながら、血の通った関係を探して」旅をして、見たこと、感じたことを書いているからだ。
新自由主義・資本主義の日本は、「弱肉強食」いや「能あるものが稼いで幸せになる」「競争社会」である。
若林は、そんな日本社会に「白々しさ」を感じ「生きづらさ」を痛感して生きてきたという。
そんな思いがひしひしと伝わる本書であるが、個人的には大いに共感させてもらった。
結論、私も若林のように、長らく日本でハスり(斜に構え)ながら、苦しみながら、悩みながらも生きていくのだろうな~。なんて、重ね合わせて考えたものだ。
おこがましいけれど、根本的に似ている部分が多い人間が、書いた本だからここまで感銘を受けたということだ。
しかし、私は誰か特定の人を崇拝したり慕って、その人を目指すということはしない。
ただ、解説でDJ松永も書いているが、若林正恭という人間の苦悩は私も含めて「多くの人を救っている」。
彼の「生きる姿勢」は大いに勉強になる。
さて、話を戻す(どこに戻すんだ?)。
本書には、「東京」、キューバ、モンゴル、アイスランドが描かれ、それぞれが対比される。
どこに行っても「平等」はなかったようである。
印象的なのが、言葉はやや違うが、東京(日本)は「過程の平等を目指していて」、キューバは「結果の平等を目指している」というような、若林の指摘だ。
素晴らしい表現力だなと思った。(実は経済学者なのか?)
ただ、(良し悪しはさておき)「遅れている」社会主義国家キューバには、スマホが普及していないこともあり、
「ただ、人と会って話すために」夕暮れ時の海岸に人々が集まる光景を見た若林は、これだと思ったのだろう。感動したという。
私も見てみたいな。まるでタイムスリップしたような感じだろうか。
こうしてスマホがある暮らし、どこでも競争があって、勝つときも負けるときもあるけれど、だからこそ若林のいうように「血の通った関係」が私たちを生かすのだろう。
キューバでは、社会主義国家の英雄と、力強い国民性に魅せられ、モンゴルの大草原では、夫婦にもてなされ、馬にまたがり、アイスランドでは、自意識過剰と、人見知りと苦闘しながらも「ロンドンの日本人」に溶け込み、そこで暮らす人々から
若林正恭は、「隠しコマンド」を教えてもらったのだ。
勝ち続けられる「強い人間」にはたやすいかもしれないが、そうではない私のような人間には「過酷な競争」から「自由」になれる「隠しコマンド」を。
それは、「血の通った関係と没頭」だった(331頁)。
さて、結局ダラダラと拙い表現力で、読書感想文をしたためることになったが、本書の素晴らしさが伝わったであろうか。
テクニカルな面でも、彼の作家としての技量に魅せられた。
この文庫本は、2020年の後半に出版された。
ぜひ、本書を通じて心をほぐして、温まって欲しいと思う。
ちなみに、私は、「若林と父親の関係性」に目頭が熱くなった。
ではではまた。