🎬『金の糸』を観ました

2022年3月11日
岩波ホール　にて

主人公エレネとラナ・ゴゴベリゼ監督

作家エレネは79歳の誕生日を迎える。
しかし家族はそれを忘れている。
彼女は少し孤独を感じるが、決して不幸な境遇ではない。
なぜなら慈しむ物たちに囲まれて生活しているから。
彼女は足を悪くしているため、自由に外出ができないでいる。
住んでいるのは生まれ育った古い家、娘夫婦と同居していて、「野の花」という最後の作品を執筆中だ。

ラナ・ゴゴベリゼ監督

一方、この映画の監督であるラナ・ゴゴベリゼ（1928年生まれ）、
彼女は映画公開当初91歳である。
映画では、このような人生の大先輩たちによって
「過去との決着のつけ方」というものが描かれていく。
私が若い時だったら、今ほど心に響かなかっただろうテーマ。
62歳の今だから、そして残りの人生をどう生きるかという命題を抱える身にとっては、一筋の導きをもらえるような作品でありました。

パンの残りくずで作ったお人形

前回に観た映画と同じく、舞台はジョージアの首都、トビリシ…
ここにまずグッと興味が引かれました。
主人公の生い立ちには、ソ連の支配下であったジョージアの近代史が
色濃く影響している。
スターリンによる大粛清、
抵抗勢力を徹底的に弾圧した黒歴史の犠牲者がエレネの両親であり、
当監督のラナ・ゴゴベリゼの両親でもあるのです。
映画に監督の人生が色濃く投影されていると言われる所以です。
主人公エレネの母親は極寒地の強制収容所に流刑されており、劇中ではその母親が過酷な状況下で生きる灯を求めて、配給されるパンで小さな人形を形作ったというエピソードがありました。

監督のお母さま、ヌツァ・ゴゴベリゼ

それは監督のお母様ヌツァの話でもあり、
彼女はジョージア映画黎明期の女性監督だったということです。
10年の流刑の後、帰還できましたが、映画界には戻らず、
娘である監督に対して映画人としての過去を語ることもなかったとか。

陽気な悲劇性

非常に過酷な過去を乗り越え、
老境を迎える登場人物たちですが、
反して映画の雰囲気はとってもエレガント、
穏やかで、決して重苦しさを感じさせない。
私はこの映画のそんなやさしい感触が好きです。

劇中に流れる、甘く切ないメロディーの効果も見逃せない。

また、主人公エレネの醸し出す気品ときっぱりした性格、
部屋に何気なく置かれた調度品（日本の物もあります）、
隣近所との下町的交流が下支えしている安堵感、
室内にあふれる植物、想像の力で湧き出るたわわな草花とそよぐ一陣の風、良き理解者であるひ孫の少女エレネ（同じ名前！）の存在、
恋人との甘いダンスの記憶・・・などなど、
痛みも優しさに変換できるような設定に
あふれていたためではないでしょうか。

ジョージアの哲学者メラブ・ママルダシヴィリの言葉で
「陽気な悲劇性」というものがあるそうで、
これはジョージア人がなんとなく思っている事を、
言葉として的確に表現しているフレーズなのだそうです。

“悲劇”を恐れることなく直視し対峙できるおおらかな精神力と
そこから生み出される陽気さ、強さと柔軟性。
このような国民性がこの映画の主人公たちの中にも
脈々と受け継がれているのかもしれません。

去り行く人々

2019年のトビリシ映画祭の舞台挨拶でゴゴベリゼ監督は冒頭、
今は「亡き三人」についてその思い出を語りました。

作曲家ギア・カンチェリ

作曲家ギア・カンチェリ。
彼は監督との仕事も多く、一度倒れた後に映画の曲を書き上げて、
映画公開の年に84歳で亡くなっています。
この映画の曲が遺作となったわけです。
「何があろうとこの映画の曲を書いてからあの世に行くから安心しろ」
監督にそう言ったそうです。

ザイラ・アルセニヴィリ。
彼女は監督と多くの仕事を共にした共同執筆者で、
彼女もこの作品に着手する前に82歳で天命を終えています。
この映画はザイラが晩年に書いた小説をもとにしているそうです。

ミランダ役　グランダ・ガブニア

重要出演者の一人ミランダ役のグランダ・ガブニア。
彼女も映画の完成を待つことなく、81歳で亡くなりました。
「公開日にはどんな服を着ていこうかしら」と、
映画公開を心待ちにしていたそう。

『一生で親しく過ごした友人たちはもう一人としてこの世にいない』
と監督は語り、
『老いとは孤独』とエレネは言う。
まさに現在進行形で、人生の終焉を迎える近しい人々に一人また一人と別れを告げながら、自分の作品の中に彼らとの思い出を取り込むことで
自らの人生の答えを見出そうとしている…
そんな監督の姿に共感を覚えました。

過去は重荷なのか、財産なのか

思い返すたびに心を絞られるような辛い過去は、
忘れてしまえるものなら切り捨てて無くしてしまいたい。
しかし、それは自分の身体の一部であるゆえ、
生きている限り共に過ごさなくてはならない。

ゴゴベリゼ監督は前作から27年間の沈黙を破って
この「金の糸」を発表したそうです。
その間、議員活動や駐仏ジョージア大使活動、
亡きお母様ヌツァ監督の功績を世に知らせるための活動にも
尽力していました。
そしてそうしながらも、背負ってしまった過去との会話は
続いていたんだと思います。

金継ぎが施された壺

“過去は重荷なのか、財産なのか”
自問自答の中で監督は日本に古くから伝わる
“金継ぎ”という伝統技法に出会います。
割れたり、欠けたりした陶磁器の破損した部分を漆で接着し、
金で装飾して仕上げる技術。
それはまるで金の糸で繕ってように再生され、
アートとしての味わいも加味されるのです。

監督の素晴らしい所はこの“金継ぎ”と“人生”を
結び付ける考えに至ったところです。

「生きたいなら、過去にとらわれてはいけない。過去を破壊してもいけない。金の糸で繕うの。」この考え方に胸が熱くなりました。
そしてそれがまさに日本の文化からインスピレーションを得ていたことに
二重の驚きと感動を覚えるのです。

エレネ、アルチルそしてミランダ

孤独な誕生日を過ごすエレネのもとに、
かつての恋人アルチルから電話がかかってくる。

「僕には君しか話し相手がいないんだ」

かつての恋人の誕生日はひそかに彼の胸の内にあり続けた。
青春時代を謳歌した二人、
スターリンの時代に共に両親が粛清を受け、
苦境を共に過ごした同志でもある。
一人身になり、足を悪くして外出もままならないという老境も同じ。

アルチルの場合、車いす生活で施設で生活している。
彼からの突然の連絡にエレネも
若かりし日のアルチルの写真を引っ張り出してみる。

エレネ曰く『年金暮らしのロミオとジュリエット』さながら、
二人は電話でのやり取りで互いの孤独を慰めあう。
年齢を重ねて体の自由が奪われても、心の翼は自由自在、
二人は電話越しにかつての情熱的なタンゴさえ踊ることができるのだ。

そしてここにもう一人の登場人物、
ミランダが現れる。
彼女は娘婿の母親で認知症の症状があり、
一人暮らしをさせられないと、エレネの住む家に同居することとなる。
しかし、ミランダはスターリン時代には政府の役人側だった人物、
そしてなんと作家エレネの処女作を政府批判の廉で発禁処分にした責任者であったことも明らかになる。
おかげでエレナは以後20年間ままならぬ作家人生となってしまったのだ。
当然、エレナにとって許すことのできない存在のミランダである。

一方、ミランダは高官時代、権威者として活躍していたことが唯一自分の誇りであり、そのために犠牲となった人々の存在には目をつぶり、
耳をふさいできたところがあるのではないか。
自らの所持品を売って恵まれない人々に密かに寄付をしていたミランダは
善行の人でもある。
エレナに対する罪の意識があったからこそ、
ミランダの内なる混乱は認知症となって現れ、
混沌とした意識のまま町中を彷徨い、
たどりついた廃墟で呆然と椅子に座ったまま（死を仄めかせて）
劇中から退席する。

過去と共に今を生きる

ミランダの善行を知ったり、
アルチルとの新しい関係性を築く中で、
エレナはようやく過去との決着の糸口を探し当てたようだ。

過去に受けた心の傷口を修復し、
現在の人生と金の糸で美しくつなぎ合わせることで、
辛い過去を「重荷」から「財産」に生まれ変わらせることが可能であることに気づくのだ。

過去の呪縛から解き放されるためには、
やはり今を感じて生きなければならない。
その今を輝かせ、過去の人生と金の糸でつなぎ合わせて、
「本当に生きたといえる唯一の人生」にするのです。

この映画からは人生をいかに生きるかの知恵と言葉を
いくつももらった気がします。

「過去を乗り越えたなら、あとは人生を楽しむだけ」と。

日本ジョージア大使館

なんと、日本ジョージア大使館には金継ぎをほどこした
“クヴェヴリ”が飾ってあるそうです。

“クヴェヴリ”とは、ジョージアワインの熟成に使われる伝統的な土器。
ジョージアから送ったクヴェヴリに
東京の職人さんが金継ぎを施たのものだそう。

日本とジョージアもこんな風に金継ぎでつながっていたのですね。

金継ぎが施された“クヴェヴリ”