本当にあった無肥料で高収量が続く農業(2) 摘要
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一般向けリライト
耕作を続けると土は痩せる
土壌炭素は土壌肥沃度の指標だ。森林や草原を開墾し、耕作を続けると土壌炭素は減少する。言いかえれば、年々収量が減ってくる。とくに熱帯では減り方が速い。そのため、古い農地を放棄し、新たな農地を開墾することになる。アマゾンの熱帯雨林の破壊が進むのはこのような事情によるもので、耕作による土壌炭素の減少を止めることが緊急かつ重要な課題となっている。
窒素施肥は土を肥やさない
土壌炭素の減少には窒素施肥が影響している。窒素施肥は作物の生長を促進して光合成による炭素固定量を増やすが、同時に、微生物の増殖を促進して土壌有機物の分解による炭素放出量を増やす。このように、窒素施肥は土壌炭素の増加にも減少にも影響するが、減少への影響の方が大きいのが実態だ。
炭素が耕地を肥沃化させるかもしれない
仮に窒素施肥なしで高収量が実現できたなら、農地は荒廃せず、むしろ肥沃化するだろう。実際、そのような圃場が実在する。農家は、化学肥料も有機肥料も使用せずに、炭素/窒素比率の高い有機物資材(廃菌床)を圃場に投入することで、化学肥料を使う慣行農業を超える収量を上げている。
調査項目
我々、国際農林水産業研究センターと筑波大学のチームは、その圃場で、廃菌床の効果に関する次の調査を行った。
どの程度高収量なのか単位面積あたりの農作物の収量として明確にする。
土壌の構造の変化を一般圃場との比較で明らかにする。
施肥を代替する、生物的窒素固定が増えるはずだ。その場合、微生物の活動量も増加する。一般圃場の何倍増加しているかを確認する。
ちなみに、マメ科の根粒菌以外にも窒素固定能力を持つ菌類は多く存在し、植物の大半がこれらの菌類と共生して窒素固定を行っている。無肥料で高収量が得られるなら、土壌肥沃度が高くなり、土壌炭素量も高くなるはずなので、確認する。また、土壌窒素が減少していないかも確認する。もし減少していれば、持続性が保証されないことになる。なお、土壌窒素の大半は作物が直接吸収できない有機物や微生物として存在するので、土壌全窒素で確認した。
表土層が厚くなり土壌炭素と窒素が増えた
廃菌床を投入した結果、表層土が厚くなった。また、炭素が増え、窒素も増えていた。調査圃場は周年栽培可能な地域である。レタスを主体に間を置かずに連続栽培した結果、4年半の間に15作が行われた。投入された廃菌床(水分60%)の量は、毎作、1㎡あたり1.5〜2kgであった。4年半の合計で1㎡あたり炭素5,014 g、窒素129 gが土壌に投入されたことになる。
無施肥が慣行農業の収量を凌駕する
土壌の硝酸態窒素濃度は慣行農業で施肥量を決める際の基準となるが、この圃場は森林並に低く、施肥が必要な状態であった。つまり廃菌床に含まれる窒素は、土壌の硝酸態窒素濃度を高めない。しかし土壌の硝酸態窒素濃度が低かったにもかかわらず、収量はブラジル全国平均値のおよそ4倍に達した。
分厚い土壌団粒層が形成される
4年半の間に作土層は7cm厚みを増して29cmになり、全体が団粒化していた。土壌団粒は保水性と排水性を両立する理想の土だ。
高炭素資材投入農法は持続性がある
土壌全窒素は、推定で、廃菌床による投入量の2.68〜6.00倍増加した。同様に土壌炭素は1.30〜2.35倍増加した。土壌窒素が減少せず、土壌炭素も増加しているため、この農法は持続性がある。また、土壌微生物の活動量は休耕中の隣接対照圃場より1桁高かった。つまり、無施肥を補い、土壌窒素を増加させるだけの生物的窒素固定をしている可能性がある。
以上の調査結果から、炭素/窒素比率の高い有機物資材を投入する無施肥農業は、慣行農業では土壌肥沃の低下が速い熱帯耕地の劣化した土壌の肥沃度を向上させ、食料生産を増加することが分かった。
エピソード
土壌肥沃度が世界最低レベルとされるタイ王国の東北地方で、トマトの節水栽培の技術開発をしていたときの話である。一般的には点滴かんがいが、最もかんがい効率が良いとされている。スプリンクラーの約5分の1の潅水量で済む。しかし、データに忠実をモットーとする自分は、日本で一世を風靡したスパルタトマト(緑健農法)の導入を試みた。慣行の100分の1の潅水量という、ぶっ飛んだ節水レベルだ。先輩研究者からは眉唾ものと言われたが、首尾よく科学的なメカニズムを解明し、現地で普及にまでこぎつけた。(詳細は別の機会に)
ただし、未解決の問題が残った。それは節水栽培では通常の10分の1の肥料で通常の収量が得られることだった。不可解なので、同僚の土壌肥学者に理由を訪ねた。すると『土壌全窒素は施肥窒素の10倍あるんですよ』と即答された。それなら、普通栽培でも1回くらいなら無施肥にしても収量は下がらないのか?と聞いた。純粋に疑問だったからだ。返答は、『下がる』だった。お察しの通り、議論はそれでおしまい。土壌肥学者の言葉に嘘はない。単に、無施肥農業については学術的に取り組まれてこなかったので、分からないだけである。
(つづく)