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Irony

歴史(history)とは皮肉(Irony)を紡ぐものなのだろうか?

8月24日だというから、もう間もなくひと月になろうとしているが、
パーヴェル・ヴァレリーヴィッチ・ドゥーロフ氏が、
フランスのパリで逮捕されたという。

1984年10月10日生まれの39歳。
ロシア製のチャット・アプリ、”テレグラム”の創業者だ。

使った事はないが、テレグラムは秘匿性の高いチャット・アプリとして
知られ、世界各国に10億人のユーザーがいるという。
サーバーにチャットの履歴を残さず、会話した内容も一定時間が過ぎると
自動的に消去されるらしい。
当然だが、会話が”生きている”間は暗号化されている。
また後から記録を辿ろうにも、一度消えた内容を復元するのはかなりの
困難をともなうのだそうだ。

ロシア軍やウクライナ軍で、自国軍内での一般的な連絡手段として使用
されているという。
そして、もう何年も前からだが、犯罪組織の連絡手段として、一般的に
使われているのは何となく知っている人は知っている、というアプリだ。

日本でも8のつく職業の人達の必須アイテムであり、オレオレの組織でも
普通に使われていて、あのワンピースの主人公の名前で呼ばれていた
犯罪組織でも使われていたらしい。
(あの呼び名は、ファンにとっては迷惑以外の何物でもないと思うが)

その他、テロ組織、反政府団体、児童ポルノ販売やアダルト系から
アングラ系の組織まで、この高度な暗号化技術で秘匿性の高さを保持
しているアプリは主に犯罪に利用されている側面が大きい。

テレグラム社は、これまで、当局からの捜査依頼に協力した事はない
という。当然だろう。
自分のアプリの特性を売り渡すような事をすれば、10億人ユーザーから
一斉にそっぽを向かれてしまう。
韓国の捜査機関も近年、断られた事がある、という話もあった。

今回、フランスの捜査機関の協力依頼を断ったからだと思われるが、
フランス国内でのアプリの使用禁止とかではなく、身柄を拘束された
のは、ドゥーロフ氏にとっては青天の霹靂だったようだ。

「テレグラムが特定の国の政府にとって許容できないものなのであれば、その国において使用を禁止すれば良い。テレグラムはそうやって過去にロシアを捨てたし、(フランスから)追放されたらそれを受け入れる準備はあった」

獄中のドゥーロフ氏のコメント(wedge onlineより)

上記のコメントから、逮捕が”想定外”だったニュアンスが感じ取れる。

パリ検察は「さまざまな犯罪にテレグラムが登場する」と指摘。性犯罪や人身売買、麻薬の密売などのやり取りに広範に利用されているにもかかわらず、捜査に協力しないドゥーロフ氏の姿勢を非難した。

産経新聞より

フランス当局は、テレグラムを使った児童ポルノの拡散などの疑いで、ドゥーロフの取り調べを行っているとのことである

パリ司法宮 2024

ロシアのラブロフ外相はドゥーロフ氏逮捕後の8月27日、フランスとの関係は「過去最悪」と強調。ロシアのペスコフ大統領報道官は記者会見で「ドゥーロフ氏への容疑を裏付ける重大な証拠がない限り、仏当局の対応は通信の自由を直接的に制限しようとする行為だ」と牽制した。

ロイター

X(旧ツイッター)を経営するイーロン・マスクや、エドワード・スノーデンらは、今回の勾留がオンラインでの表現の自由を傷つけるとして明確な抗議の声を上げた。ただドゥーロフを擁護する声は少ない。

wedge online

「プラットフォームを悪用されたからといって、プラットフォームや経営者に責任を負わすことはおかしい」と抗議。同社が提供する通信サービスは欧州連合(EU)の巨大IT規制「デジタルサービス法(DSA)」を順守している

テレグラム社 X より

1948年、国際連合総会で採択された世界人権宣言の第一条にも記載された
標語は、1946年発布されたフランス共和国の憲法から流用されている。

Liberté, Égalité, Fraternité
«リベルテ、エガリテ、フラテルニテ»

「自由、平等、友愛」

この有名な一節は、フランス革命の標語として知られている。

その成立過程を見て見ると、これら3つのスローガンは、初めから
まとまった形で標語化されたわけではなく、それぞれ間に何年か
はさみながら順番に付け足されて、最後に3つのスローガンとなった
ようだが、”民主主義”の起源をこのフランス革命に置く学説は多い。

ドゥーロフ氏の逮捕というニュースに、ネットの民主主義は今、
曲がり角を迎えた感じがする。

陰謀論的な見方をすれば、フランスの後ろに先ごろハリス氏が株を
上げたようだが、テレビ討論会を終えパーティたけなわといった
あの国が一枚かんでそうな気がするし、狙いは”ロシア弱体化”か、
とも思える。
(してみるとよくやくあっちの戦争の終わりが見えてくる、
という事か?)

そしてその先にあるのは、”完全監視社会”、という事になるのだろうか?
(もはやエシュロンでさえ、時代遅れなのだろう)

まるでどこかの国のようだが、その国は今、ヤギによって甚大な被害を
受けているようだ。情報が統制されているからか、はっきりした事は
わからない。
わからないが、何となく1強体制が既に崩壊している感じがするのだが、
多分そんな気がするだけなのだろう。

先ごろ終わったパリ五輪の開会式を見て、私はなぜか安心していた。
(おぉ・・まともに狂っとる・・・)

移民による治安悪化で、警察が暴徒に襲われるなど、もはや内戦といって
もいい状態の中で明るく健全な開会式などやられたらどうしよう、と
恐れる気持ちがあったみたいだ。

フランスは相変わらず、今も狂乱の1920年代の中にある、と思えた。
(狂乱の発祥はアメリカだが)

1927年、リンドバーグが大西洋横断を成し遂げた時、
「翼よ、あれがパリの灯だ」とは言っていないという。
空港に着陸後、リンドバーグが放った第一声は、「トイレはどこですか?」
だっとというが、これも確かに言ったかどうか不明だそうだ。
30時間以上も飛行機の上に座りっぱなしだったのだから、そらそうだろな、
と思える逸話ではあるのだが。

リンドバーグは狂騒ともいうべき大歓声に迎えられたが、ドゥーロフ氏は
自由と、平等と、友愛を謳うパリの検察局に迎えられた。
”自由、平等、友愛”のフランス革命が、最高権力者にロベスピエールを
迎えたように。

マクシミリアン・フランソワ・マリー・イジドール・ド・ロベスピエール(1758年5月6日- 1794年7月28日)
フランス革命期で最も有力な政治家であり、代表的な革命家。

ロベスピエールは国民議会や国民公会で代議士として頭角をあらわし、
共和主義が勢力を増した8月10日事件から権勢を強め、1793年7月27日に
公安委員会に入ってからの約一年間はフランスの事実上の首班として
活躍した。
左翼のジャコバン派および山岳派の指導者として民衆と連帯した革命を
構想、共和国を守るためと称して国王や政敵などの粛清を相次いで断行
した("テルール")。

ギロチンによる処刑が進む間も、劇場もパレ・ロワイヤル街の街娼も
営業を続けており、パリの市街は富貴なブルジョア婦人たちが美しさを
競いあっており、馬車の往来も頻繁で革命前と変わらない日常の喧騒に
包まれていた。
しかし、労働者の生活レベルはパンやバターにさえ欠乏する困窮状態が続いていた。パリには富と自由を享受する繁栄の世界と貧困と苦痛に喘ぐ苦難の世界が共存する状況にあった。

ロベスピエールによるテルール(恐怖政治)は、「クーデターや反乱を画策する王党派」「陰謀をめぐらし政府を転覆しようとする政治家」として、
自党派内を含む政敵を大量殺害するものであった。
これは後のテロリズムの語源となった。
ロベスピエールは普通選挙を擁護し民主主義を標榜したが、その評価には
恐怖政治期の独裁者というイメージが定着している。

Wikipedia

ドゥーロフ氏の逮捕は、後にエポックとなる”事件”だと思う。
未来の、何の礎となるのか、推移を注視したい。
何を残すのか?
禍根か?希望か?
ところで真っ暗で何も見えないのだが?
心優しい方、どうかハートマークをクリックしてほしい。
私にとってスキだけが未来への光である。


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