生理日記ガール
「感情のままに生きることは難しい。」
そんなことをつい吐露すると、
「そんなことない!最後は自分次第だよ!」
だなんて、言い返されてしまいそうだ。
たしかに本来、感情のままに生きることは、
そう難しいことではないのかもしれない。
しかし、どうしても人は、社会で生き延びるため、人間関係の円滑さを求めるために、本当の気持ちを隠し「他所行きの感情」をつくりあげてしまう。あたかもそれが、本当の感情かのように振る舞ってしまう。それが癖になり、歳を重ねれば重なるほど、心は麻痺し、「本当の気持ち」なんて分からなくなってしまう。隠し続けた「本当の気持ち」はいつの間にか皮膚の内側に潜り込んで、「他所行きの感情」となって放たれる。
どこか、我慢を美徳とするような文化のあるこの国で、私は常々、「我慢と努力を履き違えてはならない」と自らに言い聞かせてきた。
…言い聞かせては来たものの、どうしたって、社会構造に抗うことが難しい場面は多く、履き違えてばかりいる気がする。
そう思うと、なんだかやるせなくなったりする。
私が、私を犠牲にしてまで我慢していること…
そう言われて一番先ににピン!ときたものが、
生理に関するエトセトラ、であった。
十代の頃に初経がきてから、
ずっと付き合ってきた生理のこと。
振り回されることや、我慢しなくちゃいけないことが
どうしたって多い。
ほぼ毎月、流血する私の身体。
それなのに、「辛い、苦しい。」と
言い出しにくいのは何故なのか。
生理休暇や、低用量ピルの存在はあるようでないし、社会の中に浸透しているとは到底思えない。昨今、ようやく、テレビなどの公共の電波に乗って「生理」の話が流れてくる機会も増えたように感じるが、それを見たり、きいたりしても、「受け止める人・受け止めようとする人」がいる一方で、「気にも留めない人」が一定数いることも確かだ。(きっとこれは何においてもそうだ)この、「気にも留めない人」、謂わゆる、「無関心層」の関心が向くためには、どうしたらいいのだろう。
私は、周りと比較すると「生理のはなし」をしてきた方なのかもしれない。
しかし、友達と話していても、過去に「やめなよ。」「下品だよ。」と言われたことは何度となくある。最近は社会風潮の変遷に伴ってか、そんな風に言われることもだいぶ減ってきたようにも感じるが、「生理イコール不潔」というイメージが同性間のなかにも少なくとも存在していることに驚いた。同時に、この納得のいかない社会通念のようなもの(「生理イコール不潔」など)が常識化しているのだと知り、この社会で生きるためには、それを受け入れ、我慢し、生きるしかないということを、いつしか自分自身にも言い聞かせるようになっていた。諦めなくてはならないことが当たり前と化していることに首を傾げながらも、立ち向かうやり方が分からなかった。
そして、年を重ねるごとに「生理のはなし」をしなくなるようになってきた。
しかし、数年前からPMS(月経前症候群)や生理痛といった、生理に関するネガティブな症状が酷くなり、私は、再び「生理のはなし」をするようになる。しかも今回は、身近な友人や家族だけでなく、職場の上司や仕事で初めて出会った人に、である。生理関連の不調が次々に私を襲い、ほぼ毎月のようにやってくる予測不能の体調の変化。仕事を休むことはできなかったが、明らかに集中力は低下し、思うように動けない。周囲に迷惑をかけないためにも、自分の状態を伝える必要があった。
「もしかしたら重い病気なのかもしれない。」という不安や、コントロールできない気分の浮き沈み。これらの症状に心は押しつぶされ、抑うつ状態になることもしばしばあった。
知った気になっていた人の痛みは、
自分が当事者となると、正直、想像を絶するものも多かった。
ついてまわるマイナートラブルは多岐にわたる。
それは身体的なことだけではなく、社会的なことも含めてである。
どれだけ辛く、苦しいと感じていても、「理解されない苦しさ」や、「社会通念に反する」という思いの同居から、積極的に声を上げることはできなかった。それに、人の痛みは、物理的に同等の痛みを感じることが難しいため、「でも、こんなものなのかもしれない。」「私が今まで(症状が)軽かっただけ。」「みんな苦しくても平気なふりしてるんだ。」「だとしたら、こんなことで寝込んでしまう私は弱いんだ。」「少し我慢すれば落ち着くし …。」などと無理やりに感情や苦しみを押し殺してきた。
しかし、生理との付き合いも長くなり、自分なりに調べたり、様々な人の経験談を聴くことで徐々に考え方が変わっていった。
「なんで自分を半殺しにしながら生きなきゃいけないの?」
こんな風に思った日から、私は自己分析も兼ねて、約1年間、「生理日記」をつけることにした。受診する頻度も増え、主治医とのコミュニケーションが円滑になることも目的の一つであった。
そして今回、それを公にするに至ったのは、「きっとみんな言えない(癒えない)痛みがあるよね?」そう思ったからだ。
そして、それを例え小さな声だとしても伝えることで、救われる人もいるかもしれないと感じたからだ。可視化できない気持ちに対して、「みんな辛いのは一緒」だなんて、絶対に言いたくなかったからだ。
ただでさえ、社会に出れば我慢を強いられる場面は増えていく。だけど、その全てを一人で抱えるのは辛すぎる。人の痛みと同等の痛みを感じることは際限なく難しいのだとしても、際限なく寄り添うことは可能だと信じている。そのために必要なこと。その一歩を踏み出すため大事なこと。
それは相手を「知ること」だ。これでしかないと思うのだ。
最近読んだ本にこんなことが書いてあった。
上記引用文献は、社会格差と分断についての著書であるが、「生理」に関する社会問題だって、まさに格差と分断の問題だ。これはもう言い切って良い。やっと浮き彫りにされてきているが、貧困のためにナプキンを購入できない若者や、避難所等でのナプキン不足問題。避難所等の管理者には男性が多い為(一概には言えないが)、正しい理解がされずに必要分支給されない。などなど。こう考えるとジェンダー問題にまで派生していることが分かる。また、世界的に見ても同等、またはそれ以上の問題は山積みだ。生理がタブー視されてきたインドでは、生理用ナプキンの普及が乏しく、「国家家族健康調査(第4版)」(2015年度調査)によると、インドの15~24歳の女性の62%は生理中にナプキンではなく布を利用しているというデータもある程だ。ナプキンの代わりに砂や灰を使用し、感染症のリスクが高くなっているというデータもある。インドの生理に関する問題に関しては、「ピリオド-羽ばたく女性たちー」(Netflix配信)を観て知り、驚いた。
「たかが生理」ではないのだ。こんなにも神秘的である身体の営みを、のけ者にし、ないものとし、黙っていてはダメなのだ。絶対に。
「沈黙は時として罪である。」そう自分を鼓舞した。
「なかったこと」にはしたくない、過去・現在・未来の私のこと。
ここで話すことは、本当だったら内緒にしておきたいこともある。
でもきっと、ここを覗いてくれたあなたには、きっと届くと信じているし、
ここから、社会を変えることも不可能ではないと思う。
そんな私の「生理日記」です。
2021年1月某日
生理前は病的なほどの食欲に自己嫌悪に陥る。
ナッツ類が食欲コントロールに効果的と知り試すが、体に合わず。ただでさえ生理前はニキビで悲惨な顔面なのにさらにニキビが増えてしまった。
もう何年も生理と向き合っているはずなのに、どうしたらいいのかわからない。情けなくなり、こんな些細なことで絶望的な気持ちになる。
2021年2月某日
予定日から一週間経っても生理がこない。
それなのに10日前くらいから軽めのPMS症状があり辛い。
突然、落ち込んでしまい仕事中泣きそうになる。きっかけもなく、こんなことになるのは初めてで戸惑う。どんどん弱い自分になっている気がしてしまった。そんなことないのに、自分を愛することが難しくなりつつある。
しかし、身体は相反して軽やかなのだけが救い。落ち着いて様子を見ることにする。
2021年3月某日
予防医学を学び始めてから、食生活や生活習慣を見直しだいぶ生理が楽になった。高校生の頃、シャワーを浴びるだけで苦しくなり、腕が上がらなくなったことを思い出す。あの頃から、時々そういうことがある。思い返してみると全て生理前だった。あれもPMSだったのか?あの頃、思うように運動できず苦しかった日々。未だに劣等感で辛くなることがある。あの頃の自分に教えてあげたいことがたくさんあるし、守ってあげたいし、抱きしめてあげたい。
2021年4月
最近、不正出血が続き不安になり近所の婦人科へ。
おそらく排卵時出血だろうとのこと。子宮に異常はないが、ストレスで軽く炎症しているとのことで、経膣薬が処方される。自分の膣を観察するように看護学校の授業で教わったことを思い出す。あの時、その指導に従ったのかも覚えていないが、なんだか初めて自分の内側を見た気分になりながら薬を入れた。自分のことだって何にも分からないよな〜。
2021年5月
生理周期22日。
生理周期は短めだが、経血量少なめ。マイナートラブルもほとんどない。やったー!・・・と喜んでいたら、その約2週間後に胸の張りがいつも以上に強くなり不安になる。今までこんなに痛かったかな。PMSなのか、疾患なのか、判断しにくいことも増えてきた気がする。
2021年6月
時々、急に遠くに行きたくなったり、家出したくなったりする。何の予兆もなく。この感情が、だいたい生理前に来ることを、日記を振り返って知る。
今月はそんな気分になることもなかったけど、生理もこなかった。
フシギなカラダ。完全に私の中(子宮)に別の私がいると感じる。
2021年7月某日
変化の多い月だった。予定より1ヶ月程遅れの生理がきた。
その数日後に新型コロナワクチン接種。副作用にダウン。
友達から出産の報告を受ける。素直に嬉しい。
でも、正常に機能しているのかも怪しい最近の私の子宮を見つめ、なんとも言えない気持ちに、胸がぎゅうっとなる。
2021年8月某日
フェムッテックについて最近調べている。
何かいい方法はないものか。
自分にも、地球にも優しいサニタリーグッズが欲しくってネットショッピング。目で見て、触って、買えるとなおよし。ひとまず、某生理用吸水ショーツを試してみる。予想以上に快適。もう前には戻れなそう。
2021年9月某日
久々に正しい周期で生理がきて嬉しい。しかも、PMSもほぼなし。
生理って、だいたい月1イベントだけど、生理前後の不調も多いし、1ヶ月の半分以上は生理に悩まされ、振り回されている気がする。
私は高校生くらいの頃から、生理が来ると体重プラス5キロは当たり前になってしまい、本当に悩んだし、だいぶ良くはなったけど今でも悩んでいる。それが「ダイエットの妨げになっている」と嘆くと、定期的に「そんなの甘えだ、言い訳だ。」などと言われた。同性にも、異性にも、社会にも。自尊心がすり減っていった。
2021年10月某日
悩みは尽きないが、生活習慣を見直し、生活に腸活を取り入れたことにより、私の身体に間違い無くポジティブな革命が起きている。
完全にゼロではないが、だいぶ楽になったPMS。
経血に混じる血の塊の量も減ってきた。
体重の増減も、ほとんどない。(ことが多い)
過去の私に教えてあげたい。
2021年11月某日
生まれて初めての熱量で考えて行動した選挙が終わった。疲れたなー。
政府の掲げる「自助」は、普段、私が考えているそれとは完全に別物だとテレビを見ながら思う。コロナになって余計、セルフケア、セルフラブ、といった類のフレーズをよくきくけど、私にはそれさえも少しハードルが高いような気もしてしまう。しかし最近知った「セルフハグ」というのは良い。
お腹が痛い時、動けない時、自分自身をぎゅうっと抱きしめてあげたら、不思議と心が落ち着いた。新発見。
2021年12月某日
市の子宮がん検診へ。忙しくて忘れてた。
その際に、ずっと気になっていたホルモンバランスを診てもらうために採血、採尿する。基礎体温をつけることを勧められ、帰りに基礎体温計を購入。薬剤師さんの顔を見たら、何の感情かも分からない涙がぶわっとこぼれそうになり、涙をこらえてレジへ。車に乗り込んだ途端、号泣してしまった。女って何なんだろう。女の身体は面倒だ。そんなやけっぱちの感情をそのままパートナーにぶつけてしまった。翌日、生理がきてPMSだったのか、と安心してしまった。コントロール不能の心に度々疲弊してしまう。
2022年1月16日
そして今日。
この日記を書きながら、 #我慢に代わる私の選択肢 の締め切りが今日だと焦る。昨夜、清書しながら寝落ちしてしまい、いつの間にか朝。目が醒めると、なんとなく下腹部が痛い。生理が来ていた。タイムリーすぎて少し笑ってしまった。
我慢に代わる選択肢は、日記の中に登場させたつもりだ。
しかし、今回、こうやって改めて自身の身体を振り返り、見つめなおす作業をすることで希望も見えてきた。新しい選択肢が増えた。
今まで、自分のことを知らなすぎたのだ。もちろん、完全に理解することはかなり難しいと思っている。自分の毛細血管の巡り方だって知らないのだから。それでも、こうやって身体話(たいわ)することで見えてくることもあるし、もしかしたら、今後、仲間もできるかもしれない。ついさっき、鎮痛剤を内服したばかりなのに、こんなにも前向きなのも、きっと、この日記のおかげなのかもしれない。
生理に悩む人々が、もうこれ以上、何かを我慢し、何かを諦めなくても良い社会になるよう、私は小さくても声を上げていきたいと思う。
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