【軽井沢】自然豊かなところで子育てしたいのはなぜか?(4)
自然豊かな軽井沢に来て、1年
このタイトルで、もう1つ書きたいことがあったので追記します。
このnote↓の中で、自然の中で過ごすことはアート思考に通じているのでは?と書きましたが、オマケに書いておきたいのは、私がじんわり感じている、もっとゆるい想い。
自然が何の役に立つのかなんて、そんな理由は後からでいい。自然と子どもの関わりってただただ素敵だから、自然の中の子育てって、やっぱりいいと思う。という話。
都心から軽井沢に引っ越してきたのが2020年7月。1年が経ち、季節が一巡したところです。この1年の中で、子どもが自然と出会い、目を輝かせる場面をたくさん見ました。
はっきりとした根拠はないけれど、子どもたちの心が豊かになっている。そして私も豊かな気持ちを分けてもらっている。それが日々の幸せにつながっている。
だから、これからも自然豊かなところで子育てしたい。
思っていた以上に、自然×子どもは相性がいい
引っ越し前は、日中でも氷点下になる冬の寒さが怖かったけれど、過ごしてみたら悪くなかった。
軽井沢は寒いけれど、雪は少なく晴天の日も多い。簡単に言ってしまうと、雪国ではなく氷の国。キリっと寒い冬の朝、青い空をバックに樹氷が輝いている風景なんて、鬱々とした冬のイメージから遠い。思わず外に飛び出したくなる爽やかさ!
子どもたちは、ごく当たり前に環境変化を受けいれる。寒さで頬を真っ赤にさせながら、不思議な形の氷に出会い、薄い雪の上に残った動物の足跡を追う子どもたちは生きいきしている。寒いことが不快だなんて、たぶん微塵も思っていない。
月、いるね
2歳の息子は、空を眺めるのが好き。
昼間に月を見つけると、必ず教えてくれます。そして、抱っこしてほしいと伝えてくる。抱きあげると、月に向かって手を伸ばす。抱っこしてもらえば、高いところにある月に近づけると思っている様子。
あと数年もしたら、息子は月に手が届くことはないと知るでしょう。そして、月に手を伸ばしていたことも忘れる。でも私はきっと、昼間の月を見るたびに、小さかった息子のことを思い出す。月は変わらず、昼間は白く、空の端に浮かんでいるでしょう。変わらない大きなものの存在に、そのとき私は安心するような気がする。
木に「ありがとう」と言った娘
外を歩けば、石に花、葉っぱやどんぐりなどを、手にいっぱい、ポケットにいっぱい拾い集める子どもたち。幼児のそんな姿、よく見かけると思いますが、わが家も一緒。回収しそびれたどんぐりが、洗濯機の中でコロコロと音を立てて回っていることも!
秋の終わり、色付いた葉を拾いあつめていた娘が、1本の木に近づいたとき。ちょうど風が吹いて、その木から黄色く染まった葉が落ちてきました。
私は、その様子を娘の背後から見ていました。落ちてきた葉に気づいた娘は、その瞬間、木を見上げて言ったのです。
「えー‼︎くれるの?ありがとう!」
木は風の力を借りて、ザワザワと枝を揺らし返事をしました。
「どうぞ」
まだ3歳だった娘の、木に向けた笑顔が印象的でした。娘はごく当たり前に1本の木にひとつの命を感じていて、友達にお礼を言ったのです。
秋の光の中に、美しい自然の情景を見ました。そこには人間の子どもである娘も、しっかり溶けこんでいる。人間も自然の一部で、人間と植物の命の間に隔たりはないと、娘から教えてもらったような気がします。
素晴らしい世界に生まれてきたことに、感動できる瞬間でした。
秋の日↓
美しい思い出をつくろう
現在4歳の娘と2歳の息子は、もう東京を忘れていると思います。忘れると言うより、彼らの人生の記憶は、軽井沢から始まるのではないでしょうか。
大人になったとき、古い記憶を辿っていくと、底のそこには豊かな軽井沢の自然が息づいているはず。気まぐれに噴煙をくすぶらせる浅間山や、真夏でも痺れるほど冷たい湯川のせせらぎ、小鳥のさえずり、腐葉土の香り…
ここに引っ越してきて、そんな仕掛けを子どもたちに残せたことが嬉しい。自然と出会い、ふれ合った記憶は、未来の子どもたちの心を支えてくれるはず。美しい思い出を、たくさん作りたい。