東京新潟県人会開催『日本のいちばん長い日』鑑賞会レポート
東京上野にある東京新潟県人会で映画『日本のいちばん長い日』(2015年版)の鑑賞会がありましたので、参加してきました。
日時は2022年(令和4)8月15日で、15時開始でした。
8月15日といえば、周知のとおり、太平洋戦争の終戦があった日です。
『日本のいちばん長い日』を知らない方に向けて解説すると、この作品は太平洋戦争を舞台にした作品です。
作家の故・半藤一利氏が小説として『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』を著作。
それを原作として、1967(昭和42)年(以下、旧作版)と2015(平成27)年(以下、新作版)に映画化が2回されています。
1945(昭和20)年の太平洋戦争の終結間近、日本国の降伏をめぐる日本政府と軍部の葛藤と苦悩、そして、8月15日の玉音放送を巡って、クーデターを起こした軍の一部を描いた内容となっています。
まさに『日本のいちばん長い日』はこの終戦があった日、8月15日に鑑賞するのにちょうどいい映画と言えるでしょう。
実は私はすでに『日本のいちばん長い日』の映画2作をどちらとも、鑑賞会に参加する前から観ていました。
映画2作どちらも評価が良く、私個人も2作とも退屈せずに観ることができましたので、2回目を観ようという気になりました。
『日本のいちばん長い日』鑑賞会は、東京新潟県人会の会報誌の8月号で案内告知がされていました。
私は7月に県人会を訪れた際に、鑑賞会のことを知りました。
県人会で事務員さんに尋ねたり、会報誌の案内を見たりしましたが、旧作版と新作版のどちらを上映するのかは不明でした。
旧作版と新作版のどちらかが上映されるのかワクワクしながら、開催日までを過ごしました。
そして、いよいよ8月15日の鑑賞会当日となりました。
JR御徒町駅を降りておよそ徒歩10分ほどで県人会の会館に到着しました。
1階の受付で事務局長にご挨拶した後、鑑賞会の会場である2階のホールに向かいました。
2階のホールは広々としており、奥にはスクリーンプロジェクターが置いてありました。
参加者の方のほとんどが70代以上で、中には戦前生まれの方もいらっしゃいました。
2階のホール内受付で参加名簿に自分の名前を書いた後、上映まで時間がありましたので、受付の手伝いを自主的に行いました。
受付の女性は、戦前の生まれだそうで、子供の頃に遠目で見た空襲の明かりが目に焼き付いて一生忘れることができないそうです。
5歳ほどの子供が見た光景が80歳以上になっても頭から離れないというのは、戦争を直に経験した方の貴重な証言であると同時に、戦争の恐ろしさを感じました。
そうして、受付を手伝っているうちに鑑賞会の始まりの時間となりました。
映画の鑑賞を始める前に、主催者のお話がありました。
そこで今回上映される『日本のいちばん長い日』は、新作版のほうであるということが分かりました。
いよいよ『日本のいちばん長い日』が始まりました。
主な登場人物は、昭和天皇(演:本木雅弘)、鈴木貫太郎首相(演:山崎努)、阿南惟幾陸相(演:役所広司)。
戦況が悪化した1945(昭和20)年から舞台が始まりました。
日に日に悪くなっていく戦況の中、軍を暴発させずにどうやって戦争を終結させていくか。
鈴木首相を中心とした戦争を終結させたい日本政府と、戦争継続を望む声が強い一部の軍人を抱える軍部の綱引きにハラハラとしました。
戦争を始めるのは簡単だったとしても、戦争を無事に平和に終わらせるというのは至極難しいものだと感じました。
物語の終盤、いよいよ玉音放送の始まる8月15日の深夜に、軍の一部がクーデターを起こしました。
現代とは違い、スマホやインターネットがなくて情報発信が限られていた時代のため、反乱軍は玉音放送のラジオ放送をさせまいと、放送局などを襲いました。
もし、玉音放送が放送されなかったら、戦争が長引き多くの死者が増えていたかもしれない。
そして、生まれるはずだった人も親が戦争で亡くなって、生まれていなかったかもしれない。
そう考えながら、ドキドキハラハラしながら観ていました。
『日本のいちばん長い日』の上映が終わった後、主催者より締めの挨拶がありました。
この映画をきっかけに平和を考えてほしいとのことでした。
今現在、私達がこうして日本で生きていられるのも、戦争終結に向けてご尽力された方たちの働きによるものと、この映画を観て私は感じました。
1日でも戦争終結が遅れていたら、犠牲者はさらに増えていたと考えると、恐ろしい限りです。
戦後77年となる今年の8月15日は、『日本のいちばん長い日』を観て、平和についてよく考えさせられた1日でした。
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