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Jリーグ開幕戦の応援を27年後のTV放送とツイートで振り返る。
#J開幕戦bs1 という#タグをつけたツイートがTwitterを飛び交った。東京で2回目の五輪が開催されるはずだった2020年。4月5日にNHK BSでJリーグ開幕戦が放送され、放送に合わせて多くのツイートがされたのだ。
Jリーグがスタートしたのは1993年5月15日。私は幸運にもチケットを入手し国立競技場にいた。
前年1992年秋に開幕したナビスコカップから、横浜マリノスの応援をリードする役割を担う何名かの一人として活発に行動していた。あれから27年。あの頃に歌われていたチャントの中に、今も歌い続けられているものがある。そして、あのとき、ピッチ上にいた選手の中に、今、コーチングスタッフとしてベンチに座っている人がいる。
WE ARE MARINOS ! WE ARE MARINOS ! スタジアム入りを待ちきれない。歌おう! #J開幕戦bs1 pic.twitter.com/dgqgbkc8Lt
— malicia (@malicia_yfm) April 5, 2020
あの日、スタジアムにいたサポーターは何を見たのか?27年で応援は変わったのか?
当時のことを知らない若い世代のサポーターが見落としていたであろう「擬似リアタイツイート」を中心にピックアップし、1993年5月15日、つまりはJリーグブームの火がついた、あの頃のサッカーとサポート事情について解説してみよう。
スタジアムでグッズを購入する習慣がなかった。なぜならグッズは繁華街で購入するものだったからだ。
よし、カテゴリーワンのために横浜そごう行くぞ!
— toshiaki.vamos (@toshiband) April 5, 2020
あれっ!?混みすぎて規制中!?自粛中!?#J開幕戦bs1
当時を思い出してみると、スタジアム内のグッズ売り場の記憶がない。購入していないことはもちろんだが、売り場があったかすら思い出せない。なぜなら、グッズは百貨店をはじめとする繁華街の店舗で販売されていたからだ。カテゴリーワンという名のJリーグオフィシャルショップは新宿小田急ハルクに一号店を開店。日本全国のどの店舗にも全クラブの商品がバランスよく陳列・販売されていた。サッカーを生観戦したことがない人も「トレンディファッション」としてJリーグアパレルを購入し街で着るのが普通だった。それくらい、物凄いJリーグブームだった。
さて、フェイスペイントしたし、そろそろ国立競技場に行くか。#J開幕戦bs1
— 🇫🇷くまっち🇫🇷⚓⭐⭐⭐🌟 (@toricokuma) April 5, 2020
ラモンディアス頼むぜ!
フェイスペイントは基本だった。自宅でペイントするのが主流。
今では、ワールドカップの本戦等の特別なお祭り感のある試合以外でフェイスペイントをする人は珍しくなった。しかし、当時は、どの試合でもフェイスペイントは当たり前のように行われていた。どれくらい当たり前かを知りたければ、Shonan BMW スタジアム平塚とIAIスタジアム日本平へ行ってみると良い。その痕跡が見つかる。スタンドの外壁に不自然な鏡が並んでいるエリアがある。あの鏡は、サポーターが自分のフェイスペイントを確認するために設置されたものだ。
もう一つの大ブームはチアホーン。
チアホーンうるさいねw
— ずやん2m👧←38w3d (@skmizm) April 5, 2020
#J開幕戦BS1
Jリーグ開幕戦の放送を見て、まず、多くのサポーターが気づいたのはコールやチャントがほとんど聞こえてこなかったという点だ。聞こえてきたのはファーというラッパの音。これはチアホーンという応援グッズの音だ。チアホーンは大ブームとなった。コアエリア以外のファン・サポーターの多くは声を出すのではなく、手拍子するのでもなくチアホーンを吹いた。
チアホーンの影響力は21世紀にまで続いた。2014年NHKサッカー放送のテーマ音楽・椎名林檎のNIPPONは、おそらくサッカー感を出すためにイントロでチアホーンの音を使用している。
チアホーンブームは短命だった。コアサポーターは声と手拍子の応援を望み、チアホーンを好ましく思わないサポーター団体が多かった。また、近隣住民から騒音のクレームが各クラブに多く届いた。各クラブは自粛を呼びかけ、チアホーンは姿を消した。
チアホーン=手拍子だと思って聞いてるとだんだん違和感がなくなっていく #J開幕BS1
— akira (@akiras21_) April 5, 2020
当時、応援を推進する立場でスタジアムにいた者の感覚は、まさにそれ。チアホーンが大ブームになってしまっている大前提において、どのようにみんなで吹けるポイントを生み出すかも応援のテーマでした。もちろん声による応援がベストだったのだけれど、あれが現実的な選択。
— malicia (@malicia_yfm) April 6, 2020
J元年にはチアホーンや歓声でどれぐらいの騒音になるのか、というのを各スタジアムごとに測定していました。僕はそのとき千葉支局員だったので、ジェフの市原臨海開幕戦でその取材をしていました。
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) April 6, 2020
ブームに乗っかり買ったまでは良かったが、競技場周辺からの苦情からJでも徐々に今のチャント応援が主流となり、結局一度も使われる事無くお蔵入りした物がこちら
— Cyberbit (@Luciferbit) April 5, 2020
#J開幕戦bs1 pic.twitter.com/X2KNIOe5Qt
Jリーグは誰のものか?アンチ読売という時代があった。
「擬似リアタイツイート」の中にはヴェルディ川崎(読売日本サッカークラブ)に批判的なツイートが数多く紛れていた。
はぁ?カズに甘くねーか審判?#J開幕戦bs1
— ゆうき (@jazzycat0923) April 5, 2020
このツイートには伏線があった。1992年のナビスコカップ以来、審判がヴェルディ川崎寄りだという批判が多数あったのだ。その批判は1993年のジーコ唾吐き事件で広く一般にも知られることになる。
川淵チェアマンの提唱する地域密着・スポーツの新しい社会貢献と対立し続けたのだが読売新聞社の渡辺恒雄社長だった。かつての野球の読売巨人軍(当時のTV中継はほとんどが巨人戦だった)のような全国区の人気チームを育てたかった渡辺恒雄社長に多くのJリーグサポーターが反発した。今でも、オリジナル10のクラブのサポーターが、自クラブの範疇を超えて、Jリーグの社会性や価値について発言し、時には、それを脅かす人物や勢力に反発することが目立つのは、アンチ読売をはじめとするJリーグの理念を守る戦いの経験が強く胸に刻み込まれているサポーターが多数いることも一因だ。
ナベツネ、みとけよ!
— tricorock_fmarinos (@toricorock) April 5, 2020
#J開幕戦bs1
移籍による遺恨は既に生まれていた。柱谷哲二の電撃移籍は今も恨まれている。
柱谷なんか余裕だぞ、ラモンディアス!
— tricorock_fmarinos (@toricorock) April 5, 2020
#J開幕戦bs1
だって、プロ化を牽引する宿命のライバルって言われて、日産を代表する選手として取材を受けていたのに、アマチュアチームからプロチームになったら直後に「お金がいいんで読売に移籍します!」って言って即移籍ですよ。騙された感がとんでもなかったですよ。 #J開幕戦bs1
— malicia (@malicia_yfm) April 5, 2020
このツイートだけで十分に伝わると思う。
あいつだけは絶対許さない。
— ハル兄@Brave and Challenging 2020 (@haru_2302) April 5, 2020
天皇杯決勝に続いて返り討ちにしてやる。#J開幕戦bs1
決してレベルが高くないサッカー。では何が当時の日本中を熱狂させたのか?それは選手・関係者の情熱だった。
Jリーグの誕生で、日本にサポーターという人種が生まれた。そして、日本代表の試合ともなれば、21世紀に入っても日本中が熱狂するのは当たり前になった。2020年4月5日にNHK BSでJリーグ開幕戦を視聴した人も「面白い」と感想をツイートした。なぜか?それはTV画面から選手・関係者の情熱が伝わってきたからだと思う。誰もが走りきった。倒れても立ち上がった。交代は2人までだった。そして、毎週土曜日と水曜日に試合が開催された。しかも90分間を同点で終えると延長戦・PK戦もあった。当時は、勝ち負けを超えて「この試合が延々に終わらなかったら幸せなのに」と試合中に思ったことが何度もあった。
改めて、この試合を今見ることが出来て本当に良かった。みんな90分走りきった。みんなサッカーを自分を世間に知ってもらおうと必死だった。あの一生懸命な姿はすごく心に響いた。今コロナでみんな本当に苦しいし、みんな必死。明るい未来のためにみんなでガンバるべ!#J開幕戦bs1#nhkサッカー
— toshiaki.vamos (@toshiband) April 5, 2020
アドレナリン出過ぎて痛み感じないのかってぐらい選手はファウルされても痛がらないな
— カンチェルスキス (@PQTzC3hCLjzYwdk) April 5, 2020
今の選手が痛がりすぎなのかな?#J開幕戦bs1
最後に、私が最も面白いと思った「擬似リアタイツイート」を紹介しよう。
ディアス消えてるじゃねーか。 #J開幕戦bs1
— 三色主義者 Tricolorist (@a_iwasaki) April 5, 2020
この試合では理解されなかったラモン・ディアスの凄さ。それまで点で合わせる外国籍ストライカーは日本では活躍していなかった。
この試合の決勝点を決めるのはラモン・ディアス。しかし、得点するまでは、あまり目立った活躍は感じられなかった(今、見ると、中盤の組み立てへの参加など活躍しているのだが)。この頃まで、Jリーグの助っ人外国籍選手といえば中盤のプレーメーカー(ジーコ、リトバルスキー、エドゥー等)またはヘディングやドリブルが得意のストライカー(トニーニョ、レナト、カルバリオ等)がほとんどだった。ラモン・ディアスは、このシーズンでJリーグ初代得点王に輝いた。2試合連続ハットトリックを含む32試合で28ゴール。点で合わせる凄さや剛柔織り交ぜた多彩なテクニックで「ゴールマウスにパスする」巧さをサポーターが理解するのは、まだしばらく先のこと。Jリーグ開幕戦では、得点するまでは、まさに「ディアス消えてるじゃねーか。」としかサポーターには思えなかったのだ。サポーターがサッカーの本質や面白さを理解するのは、これから試合を重ねてからだった。
いかがでしたか。今とは全く違うJリーグ開幕当時のサッカー、そして応援について、その一端に触れていただけただろうか。応援はサッカーの変化と共に変わる。今、正解だと思っていることが、ずっと正解とは限らない。Jリーグ27年間の歴史を辿ると、そんなことが随所に見えてくる。たまには、古い話に耳を傾けてみるのも良いかもしれない。
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