サポーターが怒りを爆発させた五大誤審騒動。その怒りとは何だったのか。
「あの誤審は凄かった」「あの誤審でサポーターが荒れたね」と行った思い出話は、サポーターの宴会では必ず盛り上がる鉄板ネタだ。誤審騒動すらも、サポーターライフを充実させるアイテムにしてしまうほど、サポーターの世界は懐が深い。
とはいえ・・・日本の審判は世界で高く評価されているが、国内では評価は低く、調査によると37%のサポーターは「自分の応援するクラブは誤審で損をする事が多い」と思い込んでおり、70%のサポーターは「Jリーグには他の審判と比較して誤審の多い特定の審判員が存在する」と思い込んでいる。そのようなイメージもあり、Jリーグでは多種多様な誤審騒動が発生してきた。サポーターは何に反応して大きな騒動となったのか、そして、審判は、その後にどのようになったのかをまとめてみた。
Jリーグ 1994年9月7日 名古屋グランパス 1-2 ヴェルディ川崎
肘打ちで警告。しかし得点は認められる。
肘打ちでディフェンダーを倒し、奪ったボールを繋いでヴェルディ川崎が決勝点を挙げる。得点後に肘打ちをした選手にイエローカードが出されるものの、本来なら取り消されるべき得点も認められるという不可解な判定でホームの名古屋サポーターは騒然。大荒れとなり大問題に。
KK主審は1994年5月4日の「膝カックン事件(背後から膝カックンで奪ったボールが88分に決勝点になった事件)」1994年4月16日の「俺2枚目になるけれど退場にしちゃっていいの?事件(警告に相当する反則があったが「いいの、俺、2枚目だよ」と北澤豪に言われて出しかけたイエローカードを引き下げた事件)」が既に問題になり新聞紙上を賑わせていた。
審判委員会は、後日、誤審を認め、KK主審に謹慎処分を下すが判定はそのまま。試合結果に不満な名古屋サポーターが署名運動を行う。その後、KK主審は、この試合を最後に病気を理由に休養に入ることがJリーグから発表され、そのまま審判を引退した。
Jリーグ 1993年8月7日 横浜マリノス 1-1 鹿島アントラーズ
選手から暴力を受けるが笑顔で倒れる。
鹿島アントラーズのジーコが激しいタックルで倒され、タックルをした選手に報復の平手打ち。YH主審は両者に警告を行う。自分の親分ともいえるジーコに対する警告判定に不服な鹿島アントラーズのアルシンドがYH主審をピッチ上で押し倒した。その思いは鹿島サポーターも同じだっただろう。しかし、暴行は良くない。ところが、YH主審はイエローカードもレッドカードも出さずに笑顔で次のプレーを進めるように促した。これにより横浜サポーターも不満が爆発し、エキサイト。罵声が飛び交うことになった。YH主審は、この判定により降格。たったの6試合で華やかなJリーグの舞台を追われ、その後はJリーグでの担当試合はなく、関東大学サッカーリーグなどの主審を担当することになった。
ゼロックススーパーカップ 2008年3月1日 鹿島アントラーズ 2-2 サンフレッチェ広島
イエローカードが11枚乱れ飛び、3人の退場者
IM主審は厳しい判定により12分で選手を1人退場。厳格なルール適用によりカードが乱発され、最終的には3人が退場した。特にPKの蹴り直しについては非常に厳密で、わずかな動き出しが蹴り直しにつながった。鹿島のオズワルド・オリベイラ監督は「こうした場合、日本ではテレビでは流さないようにしているが、日本のサッカーのためにも、きちんと議論すべきだ」と問題提起。IM主審は、2006年8月にもイエローカード11枚を出し1カ月の研修を課す措置を受けていたこともあり、選手とサポーターが必要以上にナーバスになったことも試合が荒れることに繋がった。 IM主審はJリーグから無期限担当割り当て停止処分を受けるが、その後は復帰。選手とのコミュニケーションの取り方が大幅に改善され、2010年には「サッカーの聖地」ウェンブリー・スタジアムで国際親善試合イングランド代表 - メキシコ代表戦で日本人初の主審を務める。また、FAカップでイングランドサッカー協会に登録していない審判としては初めて主審を務めるなど実績を積み、2016年に国際審判員を引退してもなお、Jリーグでもトップクラスのレフリーとして活躍している。しかしながら、サポーターの中には、未だに「IM主審=誤審」のイメージを抱き続き続けている人もいる。
ヤマザキナビスコカップ 1992年10月7日 ジェフ市原 0-1 横浜マリノス
高田コールがスタンドに響いた。
Jリーグ開幕の一年前の国立西が丘サッカー場は平日ながら3,551人の観客を集めた。そこで大きな誤審が起こる。この年は「バックパスルール」が生まれた年でもあった。それ以前には、味方の選手がGKにパスしたボールをGKはキャッチすることができ、時間稼ぎや試合の流れを切ることに活用できたのだ。OT主審はバックパスルールを忘れてしまっていたようだった。バックパスかどうか微妙なボールタッチだったがGKがキャッチ。「バックパスだろ!」という野次が飛び、一呼吸を置いたくらいのタイミングでホイッスル。抗議と協議で試合が中断すると、スタンドからは「高田コール」が始まった。「高田」とは高田静夫レフリーのこと。まだ日本代表がワールドカップ予選を突破できず世界の壁に跳ね返され続けた頃、1986年にFIFAワールドカップ1986メキシコ大会で日本人初の主審を務めた、日本人で唯一の世界を知る名レフリーだ。しかし、最終的にはバックパス判定にはならずドロップボールで、有耶無耶に試合は再開された。その再開方法が唐突であったためスタンドからはブーイングが飛んだ。OT主審は、その後、1998年までJ1で、1999年はJ2で2試合を担当し、第一線を退いた。Jリーグで、担当審判以外の審判の名前がサポーターからコールされたのは、この試合が唯一だ。
J1リーグ 2010年10月17日 横浜F・マリノス 1-0 ヴィッセル神戸
「今日はわざとやってない」弁明も通用せず。
ヴィッセル神戸の大久保嘉人は横浜F・マリノスの小野裕二の足を踏んだとして、MS主審から一発退場の宣告を受ける。J1通算10度目の節目の退場処分だった。しかし、大久保嘉人は猛抗議。一点勝負の試合展開ということもあり、ヴィッセル神戸サポーターから不満の声が飛んだ。逆に横浜F・マリノスサポーターは、なかなか退かない大久保嘉人の態度に怒り罵声が飛び交った。試合後に、怒りの収まらない大久保嘉人は「いろいろ退場してきたけど、あれはない。今日はわざとやってない」とマッチコミッショナーに弁明した。
Jサポーターの審判に対する意識等は、こちらをご覧ください。