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ほかろん哲学

弱者って言葉が好きではありません。
たいてい、自分は普通と思っている人たちが、自分達より下にいると思われている人を指して、使っているように思えるからです。

私は、弱者という言葉を使うことができません。
書物の題名や、講演会のテーマに、弱者という言葉が使われていると、なんだかなあ、上から目線だなあと思ってしまうのです。

そういうことを、くどくどと考えてしまうのは、障害のある長女ほかろんと暮らしているからだと思います。
私たち親子への「弱者としての視線」を受けることは、悲しいです。
私は知的障害者の親ではありますが、弱者とくくられるには、抵抗があります。素直に受け入れられません。
弱者という言葉の対象は言っている人よりは「下の人」なので、言われた方は、心が傷つくのです。
やさしい差別です。

私のどこが弱者なのですか。
と開き直りたくなります。
でも、社会的に弱い立場にいることは事実です。
肩書も経済力もないので、この社会では弱い立場です。
しかし、私は、自分が弱い立場でよかったと思っています。

強くて、立派で、偉い人でなくて良かった。
何の権力も持っていなくてよかった。
他人を蹴落として、人の心を踏みにじるような行動をしてこなくてよかった。
むしろ、潔く、弱い立場にいることで、声を上げにくい立場にいる人たちの声を聴くことができてよかった。

と思うのです。
「Shrink」の精神科医の名前が「弱井先生」であったように、私も弱い人でいようと思います。
だけど、弱者とは呼ばれたくない。

こんなことを、考えながら暮らしているのは、とにかく、私がほかろんの母で、ほかろんとの暮らしのなかで、感じることがあまりも多すぎるからです。

このように、心の奥底に響くようなことや、生きることの難しさや、自分達を取り巻く世の中や、人々のことを、毎日考えて過ごしています。

これは、もう、ほかろんのおかげとしか言い様がありません。
ほかろんとの暮らしを考えることが、私の哲学となっています。
名付けて、「ほかろん哲学」です。

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