耳に残るは君の歌声 涙壺のおまけつき
20世紀から、21世紀になるとき、人々は大騒ぎした。
いわゆる、2000年問題である。
2000年にコンピューターが誤作動する可能性があると騒いでいたが、別に何も起きなかった。
渋谷の単館系映画をよく見ていたころが、ちょうど2000年あたり。
ジョニー・デップの映画が好きな私が、
「耳に残るは君の歌声」の前売券を買ったら、特典として
「20世紀の涙壺」という小さなガラスの小瓶が付いてきた。
かわいい栓までついていた。
「20世紀は悲しいことがたくさんありました。20世紀の涙をこの壺に入れてください。」と書いてあった。
20世紀の涙を壺に入れて、ふたをして、21世紀を迎えよう。
21世紀も悲しいことが山ほどおきた。
涙壺は一輪挿しとして、21世紀の今日も、私のキッチンで花を飾っている。
「耳に残るは君の歌声」は悲しい映画である。
1927年、ロシアのユダヤ人の少女、フィゲレはアメリカに出稼ぎに行った父親を探す旅に出る。国を持たないユダヤ人は、迫害を受けていた。
アメリカに行くはずが、イギリス行きの船に乗せられてしまった、フィゲレは赤十字に保護され、スージーという名前を付けられ養父母に育てられる。
そしてまた船に乗りパリへ行く。
船の上で、スージーが歌う歌が、「暗い日曜日」。
この曲は当時、自殺を誘発させる歌といわれていた。
本当に暗くて、心が固まりそうな歌だが、私は好きだ。
オペラの「真珠採り」で歌われるのが
「耳に残るは君の歌声、The Man Who Cried」
この映画は悲しい歌であふれている。
パリに着き、ジプシーの一団に出会う。
ジプシーは馬の調教に優れ、音楽的な才能があるので、オペラの仕事を手伝っている。
夜中にジプシーのチェイザーが白い馬に乗り、スージーが自転車で後を追うシーンは印象的である。
ジプシーもユダヤ人も国を持たず、迫害を受けている者同士だ。
チェイザーと別れ、アメリカに渡り父と出会うが、父は病に倒れていた。
最後の最後まで、悲しい話だ。
そして、涙壺だが、とても小さいので、私の悲しみは入りきらない。
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