老障介護猛暑三連休無事終わりました
今年の夏は暑い。
去年も暑かったけど。
この暑さの三連休。
躁病で知的障害のある長女とどう過ごしたらいいか?
ずっと考えていました。
昨年まではお休みの日となると、100円玉を握りしめてコミュニティバスに乗って、「おでかけ」を楽しんでいた長女。
駅前の本屋さんに行って、お小遣いでアイドル雑誌を買っていた長女。
しかし、真夏のお出かけは、カンカン照りのおひさまに、つきそいの母がノックダウンされて、家に帰るなり、バタンと音をたてて、倒れてしまいそう。
移動支援を頼みたくても、水泳カウンセリングの予定が不定期で、先生の都合で急に決まるため、日曜の公的な援助を、前もって申請するのは難しい。
悩める真夏のお出かけプラン。
今年はどうなるかなあと思っていたけど、あっさり三連休終了しました。
どうなったかというと。
三連休、長女はリビングのテーブルの自分の席で、一日中「写経」をして過ごしました。
私が「写経」と呼んでいるのは、長女の言うところの「勉強」です。
長女は、A4の印刷物の裏紙を半分に切ったものに、「字」を書き写すのです。
長女は字は読めません。
自分の名前はかろうじて、読んだり書いたりはできます。
だから、長女は「字」を書いているというよりは、「写している」のです。
お手本となるものは、新聞、本、お菓子の箱やペットボトルなどのラベル、ティッシュペーパーの箱、CD、DVD、などなど。
家にあるもので「字」が書いてあればすべてが対象です。
新聞でのお気に入りは、ネオシーダーや髪の素、桃の花ハンドクリームなどの広告。
テレビ番組表。
ちなみに長女はテレビ番組表のことを、新聞と呼んでます。
その「写経」を3日間。
私が録画した二時間ドラマをつけて、時々見ては笑ったりして。
食事、おやつ、トイレ、お風呂以外の時間熱心に書いていました。
そういうわけで、家じゅうの裏紙が無くなってしまいました。
私が過去に出席した、役員会だの委員会だのの会議録だとか、お医者さんの薬の説明用紙だとか、全部半分こに切って、長女に渡しました。
するとまた、すぐ、熱心に「写経」をするものだから、また裏紙が無くなる。
家じゅうを探してA4の用紙を探す。
とうとう足りなくなって、隣のおばちゃんに裏紙をもらいに行きました。
隣に、お醤油やお味噌をもらいに行くみたいにです。
「字」を書いても自分では読めませんから、「読んで」と持ってくることがあります。
これを読むのがまた、パズルを解くようで難しい。
上から順にとか、左から右にとかの決まりはないみたいで、下から始まって上に向かって読んだり、上、下、右など、自由に書いてあります。
3日間もよく集中して「写経」していたなあと、感心してしまいます。
「写経」をしているときは静かです。
だから、私も長女の横で本を読んだりできます。
あの、お出かけ大好きの長女はどこへいったのだろう。
なぜ、3日間も「写経」に専念しているのだろうか。
そういえば、今年に入ってからは、躁転もしていないし、まあ、時々は、癇癪を起したり、「ヤダア、ヤダア。」と言うこともあるけど、比較的穏やかな日々が続いています。
困ったことが起きたときや、躁転のサインがあったときにメモするノートを最近開いてないな。
つまりは、困ったことや大きいパニックなどが、起きていないということでしょう。
これは、すごいことです。
私は、毎晩ぐっすり眠れるし、ご飯もゆっくり食べられるし、今まで生きてきて一番、穏やかで、平和な暮らしができているのですから。
これは、長女が成長したということなのでしょうか。
躁病のお薬が効いているということなのでしょうか。
それとも、長女が50歳となり、体力気力が低下してきた、つまりは、老化してきているからということでしょうか。
なんでもいいわ。
穏やかな日々が続くのならば。
こんな、静かな日々を送ることができるようになるなんて、思いもしませんでした。
きっと、今まで、長女と共に、山あり谷あり険しい道を歩んできた私への、人生の終盤にやってきた最大のプレゼントなのかもしれません。
なんて、調子にのってると、躁転したりするから、全く安心するわけにはいきませんが。