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母、魔女になる

76年も生きていると、しがらみだとか、執着だとか、依存だとか、もうそういうめんどくさいものが、すべて抜け落ちてきて、体が軽くなってきます。
もしかして、油気とか、水気とかが抜けてきて、スカスカ細胞になっているのかもしれませんが。

歳をとってよかったことといえば、重たいものを脱ぎ捨てて、心地よさを選ぶ生き方ができるようになったことです。
体が軽くなって、ある日魂だけになってしまうかもしれないななどと、思ったりもします。
それはそれでありです。

知的障害、躁病などの障害を持つ長女ほかろんとの暮らし、まあ、言うところの老障介護の生活ですが、見方を変えてみれば、どっちもどっちなので、中高年の親子二人暮らしです。

ほかろんの躁病は、今年はわりと、おとなしめで、週に一度くらい「ヤダさん攻撃」(ヤダーヤダーと怒鳴りまくる)だの、癇癪などが出ますが、昨日などは、自分から
「とんぷくのむ。」というくらいなので、自分の状態が少しわかっているみたいです。
頓服というのは、気分が激しくなったときに、リスペリドンを「2包」服薬することになっているのです。
最近は頓服の出番も少なく、比較的穏やかな生活が続いていたということでしょう。

今年の私の大仕事は二つありました。
一つは13人もの相続人がいる遺産相続手続き。
こちらは今、書類を全部そろえて、信託銀行に提出したところ。

もう一つは、ほかろんのショートステイの開始です。
長年、ほかろんのショートステイを始める機会を虎視眈々と狙っていたのですが、いよいよ、今年の2月、「いまでしょ!」と手続きに入りました。
問題は、いかに、ほかろんが納得してショートステイに行くことができるか。ということです。
何でも、本人が納得しないとうまくいきません。
焦りは禁物。じっくり進める。

本人の納得と導入のタイミング。
これにつきます。
障害のあるほかろんは、変化が苦手です。
なので、「新しいこと」を始める時は慎重に慎重に、始めていきます。
この辺の機微は、体験から、本人の健康状態や、精神状態を見ながらです。

そして、とうとう、行くことができたのです。
ショートステイ。
他の人から見たら、「なんだそんなこと」というような、些細なことでしょうが、ほかろんにとっては、月への一歩よりも、もっともっと、すごい一歩なのです。

今年、3回のショートステイ、いずれも一泊のレスパイトですが、楽しくこなしました。
今朝
「やさしいんだよ。おんなのひと。」と自分からショートステイのことを話し始めました。
「おとこのひとが、えぷろんでごはんをつくるの。」
「おんなのひとが、おぼんではこぶよ。」
「へやは、4ばんで、べっどで、てれびがあるの。」
「といれはふたつ。」
「おふろは、すきなときにはいっていいの。」
「ふりかけはえらべるの。」

得意げに話してくれます。
自分がいかに大切にされているところへ、行ってきたのか。
よほどうれしいのでしょう。
アットホームなショートステイと巡り合えてよかったです。

母にとっても、大仕事ですが、ほかろんにとっては、もっともっと大仕事だったでしょう。

ほかろんと共に試行錯誤しながら、沢山の人と関わり合いながら生きてきた51年間。
発作が止まらないときや、パニックを起こしたときや、躁転したときなど、
修羅場ばかりで、修行の毎日だなあと思っていました。
けれども、ほかろんがいなければ、体験できなかったであろう様々のできごとや、感情の大嵐に揉まれたことなどによって、私はずいぶん変化しました。
たとえていえば、川の流れによって、ごつごつの岩が、つるつるの石に変化したみたいな。

時間をかけて、そしてたくさんの体験で、人間は変化するものなのだと実感します。
そして、75歳の壁を超えて、76歳の今、昨年よりも、ずっと心が軽くなりました。
そして、ずっと、おおらか(おおざっぱ)になりました。
ただ、めんどくさいから、周りを許しているだけかもしれません。

多分、もしかして、私の次のステージは魔女になることかもしれません。

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