老障介護絶賛進行中
子どもが小さいころは、その時々を夢中で過ごしていた。がむしゃらに。
その頃は、あまりに過酷な生活だったので、考える暇もないまま、子どもを育てていた。今、考えるとよくあのような生活ができたものだと、われながら思う。
なぜ、そんな過酷な暮らしができたのかといえば、漠然とした、「希望」のような淡い思いがあったからなのではないかと思う。教育、医療、福祉、そしてなにより、「こどもの成長」というようなものに、無意識的にだが、希望を抱いていたのではないだろうか。
何年前だったか、長女の通院の時、クリニックの待合室で見かけた二組の親子連れ。五十歳くらいの息子さんを連れた八十歳くらいの母親同士が「あそこの施設はどうかしら。」「他県だけど、評判いいかしらね。」なんて会話をしていた。
かつては、親が高齢になると、障害者が施設入所するという風潮があった。
でも、今は、脱施設の時代。
障害者も高齢者も地域で暮らすという風潮になってきている。
今は、施設ではなく、グループホームで暮らすという障害者が多い。ほかには、知的障害や自閉症でも重度訪問介護が受けられるようになったので、一人暮らしするという選択肢もある。私も、ことあるごとに、「娘さんをグループホームに入れないんですか」と聞かれるようになった。
実は、うちの長女は、自分から望んで、グループホームに入所したことがある。そのとき、私は、空の巣症候群みたいに、心にぽっかり穴が開いたような感じになった。私のもとから、離れていったんだと。親離れしたのかと。
でもすぐ戻ってきた。理由は、「階段が不安」。
確かに、そのグループホームの階段の傾斜は急だった。でも、不安なのは階段だけはなかったのだろう。
だから今も家で、母親と暮らしている。長女が言う。
「家が一番」
でもいつか、親は先に死ぬだろう。その時はまた、社会が変化しているかもしれない。グループホームが足りなくて、自宅での生活がメインになるかもしれない。あるいは、長女が高齢者になって介護保険での介護になるかもしれない。未来のことは全く分からない。
実は私だって、サ高住だとか、老人ホームだとかには入りたくない。自分の家で暮らしたい。健常者でそういう人は多い。では障害者はどうなんだろう。「自分の家で暮らしたい」と思う障害者はたくさんいると思う。でも、大きな声で、言うことができず、家族のためとか、世話がかかるからとか、遠慮している人は多いのではないかな。言ってもいいはずなのに。
長女が小さいころ、私の心の片隅にあった「希望」はどこに行ったのだろう。障害のある長女が、何かができるようになるとか、よい福祉が受けられるようになるとか、そういうことは取り立てておこらなかった。
だけど、現在、長女49歳、通所の生活介護を受けながら、毎日、おいしいごはんを食べ、あたたかいお布団で眠ることができている。そして何より、背伸びせず、自然体で暮らすことができている。
数十年前、あの過酷な生活の中で、心が押しつぶされるように苦しくて、世間からの棘を感じて、真っ暗闇でもがいていた私。まるで抜け出せぬトンネルに閉じ込められたかのような、出口の見えない生活。
今、私は、穏やかな心で、安らかに生活ができるようになった。長女の障害を受け止めて、存在そのものを認めることができるようになった。
これが、真っ暗なトンネルの出口の先だったのか。だとしたら、今、とても幸せな、老障介護の真っ最中。
どこまで続くか。老障介護、絶賛、進行中!