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EBUNE淡路島漂着-「ナゾのパラダイス」作品紹介

執筆=KOURYOU

2021年10月、漂流船「EBUNE」は淡路島に漂着しました。
「マレビト」として各地に漂着を続けているEBUNEの航海は、ウェブサイト上で一つの物語を紡いでいます。

淡路島は異なる世界認識を持つ人々の、複層的な世界の中心として、近年様々な注目を集めている土地です。EBUNEがこの地に、もう一つの物語を漂着させる意味は何なのか、私たちは考えました。

そこはきっと誰かの居場所であり、また同時に他の誰かの居場所でもあるかもしれません。激動の只中にある世界にとって、自由と権利をめぐる議論は決して軽んじられてはならないと思います。しかし一方で、そこで喧伝される正義や理想は大きければ大きいほど、遠ければ遠いほど、隣人との間にある不誠実を埋め合わせているように思えることも少なくありません。

そして私たちは気づかぬうちに、よく分からない外部と壁をつくる賢明さに慣れ、体を固くすることが常態化しているような気がします。

EBUNEがこの地に漂着させるべき物語は、世界をもう一層膜で覆うようなものではなく、棲み分けられた世界認識の間に繋がりを見出す視座を発見できるような、そんな物語を、歴史や土地の探索を通して作り上げたいと思いました。

漂着は儀式という形で行われました。EBUNEのフィクションに登場する人物が参加者の前に立ち現われ、共に賽の目を振り、ゴールに向かって旅をしていく。進行は旅スゴロクの形式に似た、とてもシンプルなものです。

儀式の果てに辿り着く空間「ナゾのパラダイス」には、各々の作家が、自身のテーマを追求する視線を淡路島へ向け、マレビトとして世界を捉えなおし、再構成した作品が集合しています。

そして、そこで初めて参加者は、これまで旅をしてきた淡路島の歪な模型空間が、そこにある作品群と関連するものだと気づきます。スゴロクの盤面に見立てた会場空間は、「本物」の作品を他者の視点で解釈した「二次創作」として作り出されました。

淡路島には、一度死に再び生まれなおすための登山への信仰があります。
到達地点「ナゾのパラダイス」は、淡路島の山中にある性に関する秘宝館の名称にちなんで名づけられました。山の頂の一点へ登り詰める時間と、外部へ開かれ生まれなおしていく時間。その逆方向に流れる時間が重なり合う空間として、EBUNEは淡路島に漂着したのです。

生と死の狭間としての「ナゾのパラダイス」に集合した作品は、淡路島各所をどのように捉えなおし、繋ぎ合わせ、表現したのでしょう。この記事では、そこに集合した作品を中心に紹介していきます。

生まれなおしていく儀式の延長として、どうぞごゆっくり、お楽しみ下さい。

「ナゾのパラダイス」 構成=田口薫 施工=荒木佑介

撮影:荒木佑介

儀式の果てにたどり着く空間。ピンク色の壁に覆われ、床は微妙に傾き、遠近感が強くついている。参加作家が淡路島をモチーフに制作した作品が集合。
会場である「津井の家・琴屋」の管理人の青木将幸氏と、フィクションの人物である陰謀論者「伊藤佑介」が、この場で対談を行った。

撮影:荒木佑介

中央には、この空間を構成した田口薫の作品。複数の世界が渦をまくスゴロク空間をイメージして描かれている。淡路島を代表する観光名所「鳴門海峡の渦潮」も重ねて連想させる。
また、空間全体の壁や床にも鋭い溝が渦状に彫り刻まれており、絵画と現実空間が歪かつシームレスに繋がっている。

撮影:荒木佑介

「三柱鳥居」荒木佑介

撮影:荒木佑介

淡路島の高級ホテルの中庭に「イスラエル遺跡」として密かな人気を誇る場所がある。看板はあるが何も書かれておらず、遺跡だと知らない者にとっては庭のささやかな造形物として見過ごされるようなものだ。その遺跡と思しきものには、人々の多様な想像力を投影する器であるかのように、空洞がぽっかりと開いている。
この「イスラエル遺跡」と「戦没学徒記念若人の広場・記念塔」から、荒木は三柱鳥居を想起し、制作。鳥居は三方からの出入口であるが、すぐに行き止まり、中央には地下への井戸が開いている。

「世界平和大観音解体記念タペストリー」柳本悠花

撮影:荒木佑介

個人が建てた100mの建造物であり、現在取り壊し中である「世界平和大観音」をモチーフに制作。
お土産は景勝地や国宝など、文化を資源化する登録制度と深い繋がりがある。旅の名所などをブランド化し、観光資源として格を付け消費する事は、対象の保護や保全としても機能する。かつてはこの大観音にも観光客が訪れていたが、新たな観光スポットが多数建造されている現在の淡路島では危険で迷惑なものとされ、取り壊しが決定した。そこに託された個人の願いは置き去りとなる。
消費され消える運命にある世界平和大観音の幻のお土産として、タペストリーを制作。

「遊ぶ伊弉諾」柳生忠平

撮影:荒木佑介

淡路島を代表する物語の一つとして、国生み神話がある。古事記・日本書紀の冒頭に記述される歴史と文脈の強い場所、伊弉諾神宮をモチーフに描かれた作品。
由緒ある場所であるが、車道には真新しい灯籠がズラリと並び、まるでテーマパークの演出のようにも錯覚する。伝統を感じる佇まいの拝殿と共に、毛髪クリニックリーブ21が建立した石碑やレイラインの石碑があり、この場所が日本神話の独自の解釈により、複数の物語を生み出し続けていることを感じさせる。
描かれた伊弉諾の姿は凛々しく、数々の光る玉の世界を股にかけ疾走しているようだ。左下の妖艶な女性は、黄泉の国で醜女となった伊邪那美をイメージしている。一方で、右側に描かれている伊弉諾の姿をよく見ると、愛らしい妖怪や狛犬、猫又と共にオモチャのような灯籠に跨がって駆けている。柳生は妖怪画家であり、歴史と伝統を継承するシリアスさと同時にユーモラスであり続ける伊弉諾神宮のあり方を描き出している。

「蛭子神像」「松王丸像」井戸博章

撮影:荒木佑介

淡路島北東部に、オノコロ島伝承地の一つであり、絵のように美しい景観の「絵島」、付近に蛭子伝説の発祥地と言われる「岩楠神社」がある。岩楠神社には蛭子神がいたとされる岩屋があり、蛭子神は失敗し棄てられた神とされる。地理的に考えてみると、蛭子神は絵島から西宮えびす神社がある方角へ船出したのかもしれない。写真むかって左手の蛭子神は、あえて神像の形式にとらわれずに制作された。木片の切りっぱなしの断面をそのまま活かし造形された姿は、偶然性を受け入れたその先を見据えているようである。
また、絵島の頂には、旅人の身代わりとして人柱になった松王丸が祀られている。写真むかって右手の松王丸像は、旅人を数十人捕らえ、強制的に人柱にする行為がまかり通っていた世界で、身代わりを申し出た松王丸が一体何を見つめ想うのか、捉えがたい表情が形作られている。

「キティかしら」三毛あんり

撮影:荒木佑介

現在、淡路島の新しい観光スポットとして賑わうハローキティの施設と、淡路人形座の伝統的な文楽人形を組み合わせて描いた作品。
口元の分離線から、美しい顔が突如悪鬼に変貌するガブの機能が備わっていることを想像させる。背景に塗りこめられた赤は、水銀・朱の旧採掘場であり、高野山と淡路島のつながりを思わせる「仁尾」という土地に立ち寄ったことから選ばれた色である。
人の移動や交流がもたらすものは、美しいものばかりではない。私たちは常に悪鬼を隠し持っている。観光地化の功罪と、歴史の重なりが表現されている。

「日を鎮めるための神具」伊藤允彦

撮影:荒木佑介

渡来人の大きな集落跡と思われる舟木遺跡と、付近の石上神社をモチーフに制作。舟木遺跡は広大で美しい農地とため池がある禁足地であり、石上神社は太陽を信仰する女人禁制の聖域で磐座が鎮座していた。超越的な存在として古代より信仰される太陽は、石やラインに見立てられることが多い。
また、淡路島は日本一のため池密集地域である。水は人々の生活に欠かせないものであるが、権威の象徴である古墳造営と密接な関わりがあるとも言われている。果たしてどちらのために、どちらが作られたのか。
ため池を模した小皿の水に、磐座に見立てた石を鎮めるという抽象形体を造形。天と地にある信仰対象を交わらせる、新たな神具として制作。

「あっちこっちの石」湯浅万貴子

撮影:荒木佑介

海岸のさざれ石が巨大な岩となっている「おじんば磯」をモチーフに制作。「巌となるさざれ石」は日本国歌「君が代」の歌詞に登場する。各地の小さな小石が集合し、長い時間をかけて岩になる様をEBUNEのあり方と重ねて制作。手前に置かれた小石は作家が実際に旅先で拾い集めてきたもの。左右の白と黒の欠片は、海がもたらす豊かさと恐ろしさを表しており、奥に絵として描かれた形象がおじんば磯=EBUNEのイメージである。フィクションと現実が分離しがたい今回の漂着と呼応するような半立体作品である。お社のイメージでもある。

「提灯神社」シゲル・マツモト

撮影:荒木佑介

近年淡路島に、大手人材派遣会社が富裕層向けの新たな商業施設を多数建造している。そこに度々使用されるキャラクターであるハローキティをモチーフに制作。
キャラクターの頭部を巨大化し、そのまま建築の外観としている施設があるが、そこで使用されている強固な建築素材とは対照的に、薄く頼りない張り子や、チープな日用品で造形され、ハイクラスとロークラスの境界が極薄になるよう制作。深くかがむことで内側にある女性のご神体を詣でることができ、表面には猥雑なイメージ画像がコラージュされている。ハローキティの施設が、前方後円墳や首塚のイメージと酷似していたように、弱く軽薄なものこそが未来に残り、神聖なものとされるのかもしれない。

「連凧」三毛あんり

撮影:荒木佑介

丹下健三が建築した戦没学徒記念若人の広場・記念塔をモチーフに制作。ペン先をモチーフにしたとされる三角形の塔の造形を、薄いセロファンで表現。同じ形態の複数の凧が、連なって宙に浮く。「ナゾのパラダイス」から会場の庭まで連なる形で配置された。地上へつながっている赤い紐は、争いで流れる血をイメージしたもの。血脈のつながりも想起させる。歴史に学ばなければ、私たちは同じ過ちを何度も何度も繰り返す。そしてそのことで物語を紡いでいく存在でもある。

「捕らえられた亡霊の盆」柳本悠花

撮影:荒木佑介

煙島と淳仁天皇陵をモチーフに制作。煙島は平敦盛の首塚とされる禁足地であり祟りがあるとされる。淳仁天皇陵は皇位争いの結果、淡路島に流され死後天皇となった淳仁天皇の陵墓であり、こちらも禁足地である。どちらも人の手が入っていないため植物が原生林のようにこんもりと生い茂っている。何者でもない怨霊となってしまった首から植物のような根が生え、隔離された小さな塚を器に生きる様子をイメージし制作。フェルトや紙粘土など身近な素材で作られている。
人は繋がりの中で生きている。大きな権力闘争でなくとも、何かを成そうとする時の衝突は身近なものだ。何者でもない顔には鏡がはめ込まれており「私たちでもある」というメッセージを感じさせる。

「肉の鞄」山本和幸

撮影:荒木佑介

岩楠神社の蛭子神や淡路人形座をモチーフに制作。蛭子神は出来損ないの神として、商売に精を出す庶民に親しまれる恵比寿神や、人間になりきれない人形と同一視されることがある。流浪の民である海民と強い繋がりがあるものだ。吊るされた肉=漂流、流通のイメージで制作し、旅の必需品である鞄の形に造形。よく見ると指先などが形になろうとしており、生まれることが出来なかった水子も連想させる。しかし下部には海民が信仰した神功皇后伝説の、お産を遅らせる2つの石が埋め込まれており、この肉塊が新たな命を産み落とす直前であることが分かる。鞄の形に痛ましく手術されているが、そのことで私たちと共に旅することが出来る。EBUNEの物語に登場するキャラクターの持ち物として制作され、特撮の大道具のようでもある。しかし強固な金具に吊り下けられズッシリとした重量感が際立つよう表現されており、フィクションの存在の重さを感じさせる。
表面にはヘブライ語で「見よ、あなたがたは喜び楽しみ、牛をほふり、羊を殺し、肉を食い、酒を飲んで言う、「われわれは食い、かつ飲もう、明日は死ぬのだから」」という旧約聖書の言葉など、その日を生きる刹那的な言葉が刻印されている。

「虫に転生した子供たち」福士千裕

撮影:荒木佑介

「ナゾのパラダイス」に集合した作品や、スゴロク空間として形作られた作品の他に、EBUNEの物語と漂着に欠かせない作品群がある。ここからはそちらを紹介していく。

女木島に漂着していた「家船」には、連絡船紫雲丸の沈没事故で犠牲になった修学旅行中の児童と思しき幽霊たちが遊びに来ていた。「EBUNE」として出航した後も、物語の中で彼らは共に航海を楽しんでいる。淡路島に漂着する直前、彼らは淡路島に生まれる虫に転生し、今回の漂着では会場のあちこち、特に光があたる所に集まりうごめいている。
ドット絵の平面であることを重要視しており、建造物の凹凸にそうようにピッタリと貼り付けられている。

「ペキゾ・ゾゾ」犬おわり

撮影:荒木佑介

「EBUNE」として出航後、物語の中で乗り合わせた猫「アナンキー・ポック」が、船の中にある日用品で様々なものを作っている。航海の物語にあわせて常に変わりゆく船内を眺め、無意識のうちに見えてきた形体に物質を当てはめる形で制作。
淡路島漂着では、これまで佐賀、福岡漂着で使用された陶磁器や他の作家の作品の欠片などを使用し、新たなオブジェを作り上げている。

「群青とかのやつ(仮)」高橋永二郎

撮影:荒木佑介

儀式のクライマックスで、陰謀論者「伊藤佑介」は会場の琴屋管理人に怒鳴られ追い出される。その際、空間に響き渡る「君が代」に似た歪な音楽にあわせ、薄いゴム手袋に空気が送り込まれ、手拍子をする。4体が独立したリズムを担当。次第に不気味な動きとなり、調子が崩れていく。電子工作で作られたものであり、電気の通っていない会場に蓄電池を持ち込み作動させた。現世と隔絶された幽霊の手をイメージし制作。能囃子のようでもあり参加者に先だった観衆のようでもある。

「三番目の神様」シゲル・マツモト

撮影:荒木佑介

「伊藤佑介」が会場を追い出される際、この作品を乗せた小舟を小脇にかかえて去っていった。荒木佑介の作品「三柱鳥居」から連想。井戸の底にある無意識の世界にいる、まだ正体の分からない神様として制作。小さく雑多なオモチャで構成され、人型の姿を辛うじて感じさせる。
漂着全体の構造上、想定外の作品であり、この作品の配置場所はなかったのだが、その事が転じて、クライマックスで次の地へ向かう重要な作品となった。

「伊藤佑介」伊藤允彦

撮影:高橋永二郎

謎を追う陰謀論者として、EBUNEの物語に登場する人物。儀式を進行する狂言回しのような存在。スゴロク空間で披露された儀式内容とセリフは、作品の二次創作を作る際に、メンバーが出し合ったアイデアを元に制作。

伊藤佑介の儀式がどのようなものだったのか、こちらの記事で台本を公開中である。

「赤いスカートの女」田口薫

撮影:KOURYOU

「赤い紐の男」荒木佑介

撮影:みそにこみおでん

儀式の最中「伊藤佑介」の脇にいてサポートのような動きをする。男は伊藤や参加者の動きにあわせて会場に赤い紐を張り巡らせていく。女はその赤い紐を見つつ、別の青い紐を会場に張り巡らせていく。
漂着の参加者は賽の目を振り、伊藤のアテンドで空間を巡るだけでなく、この2人が作るラインにも影響を与えている。この紐の形が今後の漂着で、何か重要な要素となるかもしれない。

構造設計=KOURYOU

撮影:荒木佑介

淡路島漂着の船長である伊藤允彦、田口薫と話し合いながら、今回の漂着全体の構造が破綻しないよう決定する役割を担う。大枠の設計ははじめに決めるが、動かせないほど定めてしまうのではなく、土地のリサーチや参加作家の作品、アイデアなどから、伊藤、田口と共に相応しい構造を組み立てなおしていく。
メンバーの解釈により二次創作されたスゴロク空間の制作を担当。現地滞在した作家や淡路島アートセンターの方々と共に会場空間を作り上げた。


トップ画像 「ナゾのパラダイス」での儀式風景 撮影:KOURYOU


EBUNEの物語はコチラで連載中です!


レビューとレポート第33号(2022年2月)


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