
夕凪の街 桜の国、実は素晴らしいマンガの読み方の参考書でもあるのです
原爆の悲劇、いや、さらにその後に起こった、起こっている悲劇を真正面から描いた「夕凪の街 桜の国」。自分はマンガ読み達が唸った夕凪の街ショックをボケーっと見逃して、何も知らずに桜の国(一)をアクションで見るコトに。桜の国(一)は、さらっと読むと、とても元気な野球少女とその友人、そして病弱な弟の明るい話だ。まさかそれが広島の、ヒロシマの原爆の話とは気づかずにいたのだ。その時は本当に、ゴエモンと呼ばれる元気な野球少女が主役の良作だと思っていたのだ。
なんて甘い、なんて温いマンガ読みだ……。
既読の方ならわかるだろうが、その状態から単行本で、夕凪の街と桜の国(一)(二)が揃った姿を見た時の衝撃ったら無かった。心を鷲掴みにされたのだ。ちょっと時間がかかったけど、単行本が出た2年後、「夕凪の街 桜の国」を抱えて、初めての「ヒロシマ」一人旅に向かった程には。
小学6年の時に「ヒロシマ」の話を集中的に読んだ時期があった。ドリトル先生シリーズを読んで翻訳した井伏鱒二先生を知って、「黒い雨」を読んで、そのつながりからだったと思う。図書室にあった色々な本で伸ちゃんの三輪車や人影の石の写真を見て、いつかは「ヒロシマ」へ行かなきゃと思っていた……のだが、記憶を蘇らせて、重い腰を上げてくれたのが「夕凪の街 桜の国」の衝撃だった。
桜の国(一)から読んだのは、個人的にとても幸せなコトだったと今では思う。普通に読んでも凄い構成なのだけど。一番効く読み方だった。少し纏めたい。
※ ここからネタバレになるので、未読の方で内容が気になる方はWEBをそっとじして、是非に本屋(ネット書店含む)へ向かってください!
夕凪の街:原爆で父と姉と妹を亡くし、悲劇を目の当たりにしてから10年、自分が幸せになっていいのかと自答していた平野皆実は、同僚の打越の愛を受け、やっと幸せに向き合おうした。しかしその直後、被ばくの症状が現れた皆実は、病魔に苦しみ、寝たきりになり、光を失い……。
桜の国(一):新井薬師前駅の近くに住む元気な野球少女、ゴエモンこと石川七波が友達の利根東子と二人、ぜんそくで入院する弟の凪生の見舞いに行って、サプライズで桜の花びらをプレゼントする話。
祖母が病気の検査をしたコトと、その結果を見て父が覚悟するコトが薄く表現され、祖母がその夏に亡くなったコトがさらっと1文で書かれている。なお、連絡帳の内容と表札から母がいないコトが読み取れる。
桜の国(二):成長した七波はOLに。元気になった凪生は医学生として行った病院で東子と再会し、つき合うようになる。しかし、病弱だった凪生を知る東子の両親は結婚に反対し、凪生もそれを受ける覚悟をする。ボケからか挙動の怪しい父を東子と追った七波は、父が降り立った広島で亡くなった母のことを思い出す。
七波の父は水戸の石川家に養子していて被ばくを逃れた平野皆実の弟であり、七波の祖母は被ばくした皆実の母であった。七波の母は七波の祖母から裁縫を習っていた太田京花、彼女も幼少時に被ばくしていた。そう、東子の両親が結婚に反対した真の理由はなんの根拠もない……。
世代を超えた、ものすごい構成なのだ。
さらに、夕凪の街では直接的な原爆時の表現は3ページ。たった3ページで縦のコマを横に使って(これは読んでみて下さい)、悲劇をしっかりと伝えている。しかし、直接的な悲劇よりも、このマンガでは被ばくという時限爆弾と、「謂れのない」遺伝による影響からの差別を、より恐ろしく描いているのだ。
マンガの上手さが伝わる構成の妙は他にも多々ある。
広島で七波と一時別れた東子は初の平和資料館で体調を崩す。七波は仕方なく近くのラブホテルに東子を連れて休憩するが、その部屋番号は203。扉を開ける時、七波は帰宅時に母が血を吐いて倒れていた(多分その時に絶命した)シーンを思い出す。
そこでは表記はないのだが、桜の国(一)を読み返すと、あの表札に書かれた石川家の部屋番号が203になっている。しかも1コマしっかり使って。
※ しかも表札の祖母の苗字は平野だ。
そして、表札のコマの前の、元気な野球少女が家の鍵を開ける時のなにげない表情が、なんとも悲しい顔に見えるようになるのだ。
さらに気になって桜の国(一)を確認すると、凪生の病室は202となっている。近い番号だが、凪生の将来が母とは違うコトが読み取れる。
ゴエモンこと七波の決め台詞が1つある。「またいらぬ事を知ってしまった!」だ。これはもちろん「ルパン三世」で人以外のモノを斬鉄剣で切った後の石川五ェ門のセリフ「またつまらぬものを斬ってしまった」のオマージュである。件のラブホテルでの、このセリフの破壊力ったら!
元々、こうの史代先生は元気な女の子の活躍するギャグが主戦。個人的には「元気な裸足を描く人」という認識であった。
※ 表紙も元気な、元気な裸足の皆実だ。
自由なコマ使いと細心の注意で描かれる悲惨な「ヒロシマ」と復興した「広島」。真剣に描かれるキツイ物語と、それを邪魔せずに心を和ませるギャグ。そして読み返すコトを促す、圧巻の構成は「ちゃんと描いています、ちゃんと読んでください」と訴えかけてくれる。
そして読み返すたびに、夕凪の街と桜の国の間に描かれた、皆実と京花の幸せそうな絵に手が止まるのだ。
どんなコマにも理由がある、特にちゃんと目に留まるように配置され、構図が誘導しているコマにはそれを記憶の隅に置いておいて、いつか読み返せるようにしなければならない。
「夕凪の街 桜の国」は日本にいるなら必ず読まなければならないと言える程の大切なマンガ。しかし、かなり多彩なマンガ技法が詰まっていて、マンガの読み方が上手くなる素敵な参考書でもあるのです。難しいテーマなのに読む楽しさが溢れる傑作、是非手にして下さい。
※ ヒロシマという表記を使うかに関しては悩みましたが、今回は使わせていただきました。