見出し画像

「偏り」と「隔たり」

「偏り」と「隔たり」
似て非なるコトバである。
先日「Equal」と言うタイトルの音ネタを
いつものように即興でつくった。
結婚式のチャーチ風イントロから
ドーンとギターが鳴り響く
ポストロック的な展開になる
ちょっと変わった音像になった。
その時ふと思った。
「偏り」を意識しながら
「隔たり」を取っ払えと。
世界はあらゆるものが偏っている。
「偏り」にフォーカスすることで
現実世界はロールする。
それはそれとして別の次元で
あらゆるものには「隔たり」がある。
「違いがある」と言い替えても
今回はイイかもしれない。
「隔たり」は自然に存在するはずだが
自らが勝手に
つくり出していることもある。
いわゆる「思い込み」だ。
結婚式のチャーチでは式が始まる前に
教会音楽が鳴っている。
私の潜在意識の中では
それはポストロックとして鳴っていたのだ。
つまりポストロックは教会音楽でもあった。
音像として一つの塊になったことで
自らの知覚が明らかになった。
潜在意識あるいは無意識の中で
意識下では「別物」と捉えているものを
「同じもの」と表現することが
「創造」なのかもしれない。
私が言いたい「隔たり」を取っ払うと
言うことはそんなイメージである。
何でもイイからあるものとあるものを
混ぜ合わせればイイというわけではない。
潜在意識の中で「同じもの」と
感じているものを
現実世界で顕在化することである。
それが「超現実」なのである。
超現実珍談士サルバドール・ヱビが
イミフと言われるのは
紛れもなく私が潜在意識を
顕在化しようとしているからである。
いつもスマニュエル夫人!

いいなと思ったら応援しよう!