残されたもの
チバ先生がお亡くなりになり
1ヶ月が経とうとしている。
アベ先生が
2009年に亡くなったのも信じられないのに
チバ先生もこの世にはもういないのだ。
音源と言うものは
亡くなってからもずっと残る。
当たり前だがソレはスゴイことだ。
おいどんはぶっちゃけ
ミッシェルジャンキーだったのだが
最近はチバ先生の
最後のキャリアとなったバンド
ザ・バースデーを聴いている。
昔から聴いてはいたが
歌詞を含め聴き直している。
サウンドは当然異なるのだが
歌詞の世界もだいぶ変わっていた。
ミッシェルの時と比べると
ストレートな表現が多い気がする。
その片鱗はミッシェル時代からあったし
デビュー前の曲を聴くと
そんな歌詞も結構あったので
元々持っているものが
前面に出てきただけなのかもしれない。
「踊るロマンのチミドロで
軽くなるだけあとはトぶだけ」と
言っていた人間が
「悲しみはもう捨てていいよ
お前の未来は青空だって
言ってやるよ」と言う。
どっちもサイコーだが
チバ先生はずっとずっと進化深化していた。
そりゃそうだ。
他界して現在進行形でなくなってしまうと
キャリア全貌を俯瞰しながらの聴き方に
無意識に移行してしまっている。
全ての名を残すアーティストと言うのは
現象として再検証が進められる。
そう言う運命なんだろう。
音源は聴いていたのだから
ライブも観に行けばよかった。
生演奏の「青空」を聴きたかったと
今になって思う。
好きなアーティストがいるならば
後悔しないためにもライブを観に行こう。
ミッシェルガンエレファントの倍以上の
年月のキャリアがあるバースデー。
遺した楽曲を聴いていく。