お花見をして50年後の自然を思う
30年前。1992年。広告代理店のPRプランナーだった私は高尾山が今のように観光地として着目されておらず、まだまだ全国区でなかったとき『高尾山を未来に繋がる観光地にする』という課題に取り組んでいました。
高尾山は都内の自然、日本の自然の象徴であり未来にそれが繋がるように半年以上高尾山や研究所に通って通って様々な専門家にインタビューをしました。考えて考えて考え抜くためにたくさんの方のチカラや知恵が必要でした。
これからの100年続く生態系を守るために今できること。観光地として人が集まるだけではなく高尾山に集まる人、樹木、鳥、虫、魚、昆虫までもが幸せであるように幸せが未来につながるためにいろいろな専門家にお話しを伺いました。
そこで感動したエピソードがありました。それは桜です。桜は私たち人間と同じ約100年くらいの寿命であること。苗木を植えてから8年で開花。20歳で青年になり見ごろになります。50歳が花や実がたくさんなりピークを迎えます。働き盛りです。70歳から壮年期になり木の勢いが少しずつ弱くなり、そして100年を過ぎると寿命で枯れてしまうこともあるそう。私たちの一生と桜の一生はとても似ていて寿命までが重なります。
都内であれば隅田川、上野公園などの桜は第二次世界大戦後、土地を強くするためにそして未来の私たち日本人のために先人が植えてくれたもの。代々木公園などは東京オリンピックのときに復興の証として植えられました。桜は自分が植えたものが見事に咲くのは孫の世代以降。ステキな未来への愛の贈り物なんです。
食べるものさえもまともにない戦後に未来の日本人のために桜を植えた人がたくさんいたんです。今見ている桜は日本を復興したいと願いをこめた人の愛だったんです。このエピソードに涙がでました。感動しました。だからお花見に出掛けてください。愛を感じながら。
広葉樹である桜は根を張り土地を強くし、水害から人を守り、春に花を咲かせ実をつけ、夏に葉を茂らせ日陰を作り、秋に紅葉し、冬は葉を落として土を肥沃にします。広葉樹の代表である桜は山桜が古来の品種。高尾山にも未来のために山桜を植えたかったんです。広葉樹にすれば鳥が実を食べ、昆虫は蜜を吸い他の生物にも良いだけでなく、何より私たち人間が幸せになると思いました。
一方で高尾山をはじめ奥多摩の山は戦後復興のためにスギが植えられました。焼け野原だった東京に木材がたくさん必要だったために植林が推進されました。
それが数十年後に花粉症になりますが当時は成長が早く、木がまっすぐなスギが必要でした。高尾山や隣の陣場山にもたくさんスギがありました。高尾山は東京の自然の象徴。一定の役割を終えたスギではなく、生態系を戻すためには広葉樹が必要と専門家が証言していました。そして私は未来の東京の子どもに桜並木のなかを歩いて欲しいと思いました。
日本の戦後が高尾山にあることを知り20世紀があと8年で終わる1992年に桜を植えるプランを提案しました。苗木が8年で花をつけると聞いたから2000年に花が咲き始めます。日本桜の会は苗の寄附を約束してくれました。
『21世紀に高尾山の満開の桜の下で会いましょう』
当時私が書いたコピーです。
そしてたくさんの地権者のみなさんに理解を得て桜の高尾山の上で植樹祭をやりました。たくさんの方がご参加頂き、一緒に苗を植えました。あのとき10歳だった八王子の小学生は今40歳になっていると思います。覚えておいてくれると嬉しいです。
桜は人間と同じ寿命。今見ている桜は私たちの二世代くらい前の復興に生命をかけた日本人の魂そのもの、だから春になったら是非お花見をしてください。平和で四季のある国に生まれたことに感謝しながら。そして遠くの国の平和を祈って。
都内の桜はかなり高齢化が進んでいます。お花見をしながらできれば50年後の日本人のためにできることを考えてくれると嬉しいです。私たちの祖先がそうしてくれたように。