毎日が「憂うつ」で朝起きるのが辛いあなたへ、かって泥沼だった私から
毎日が「憂うつ」で朝起きるのが辛いあなたへ、かって泥沼だった私から
って、私もそうだったの。
長い長い回り道しながらも、いつかきっと「このやりきれない無力感」から抜け出せるって、あっち行ったりこっち行ったり。
だけどそのたびに、もう勘弁してくれーってほど「書き出しワーク」がてんこ盛り。
ともかく視点を変えたり、過去の未消化の感情の整理をするんだけど、ワークシートを前にウンウンうなるばっかり。
「父母に贈る魂から湧き上がる<原点の心>」を書くワークもあった!湧いても来ない「贈る言葉」40分ぐらい無言で一言も書けずに・・・言葉をひねり出す前に、頭の中じゃ「出てこない・浮かんでこない」って繰り返すだけ。
「贈る言葉」となると、感謝していないと湧き上がる言葉が出てこない。
だけどオギャーと生れてから育ててもらったから「感謝するのは当たり前」という前提。
両親が愛し合っていなかったら「あなた」はこの世に生まれてないんだから
「生れてきたという奇跡」をくれたことに「感謝」できるよね?というのも前提。
確かに正論だし、この世に生まれてくるにあたっては、両親は愛し合って結ばれたことは事実だったはず。
なんだけど・・・私の場合、母は実母で父は養父。それで子供時代は「両親のすったもんだ」に翻弄されて親戚を転々としたり、ふたりの「罵り合い」を聞いて「怯えて」育ったの。
実父とは離れていたし、大人になるまで会いに行ったりできなかった。
だから「過去」を掘り下げて、「原点の心」に戻るのが一番の苦痛。両親のお互いの家庭をめちゃくちゃにする破壊行動もたっぷり「オーディエンス」として見たくなくても見せられたから。
今は「二人はそういう縁だったんだろうね。」とか「抗えない運命みたいなものだったんだろうね。」と理解しています。
でも、子供時代は、「母は父を捨てて知らないオジサンに走ってる」悪い女という世間や親戚、特に父方の叔父や叔母の「白い視線」、「あの女の連れ子」という「蔑み」が痛かったの。
でも両親は晴れて再婚したら「人並み」の絵にかいたような「中流家庭」を作り始め、私は「恵まれた家庭の一人娘」になった。
そうなると今度は母が「誰のおかげで幸せに暮らせると思ってるの!」と、何十回も繰り返される呪いの言葉を言うようになったの。
でも生活に不自由したわけではありませんから、そんな昔のことを根に持っている私が、感謝がたりない「親不孝娘」なんです。
両親の介護問題に擦り切れて「ウツ」だったのに、50年以上の昔のことを、それも普段の生活では思い出さないでいたいことを全部書き出す。
まるで、ポケットがたくさんついているリュックサックをひっくり返して、
すべての埃を全部真っ白なシーツの上にひろげるような作業。
今の自分の価値観からすると「吐き気をもよおす」おぞましい子供時代なの。それでワークには「しらじらしい言葉」の羅列するだけで、心のゴミを出し切ることができなかったの。
私は「うつ」の時は(父は他界したけれど)両親が介護認定やそれを受けたら、介護のサービスが受けられるようになることを目指していました。
そうじゃないと四六時中、二人から別々にかかってくる電話に出て、まったく食い違う欲求をされて振り回されていたから。
週2回でも2人がデイサービスを受けてくれたら・・・というのが「目指すところ」だったんです。
振り子の法則も、鏡の法則も、満月の法則も、スゴイ無意識の法則も、全部「過去の自分」の未解決の感情を引っ張り出して、白日の下にさらし、それをやっつけるメソッド・・・
その未解決の感情を「引っ張り出すこと」を心が受け付けないので「カウンセリング・ジプシー」になって、できない自分、勇気がない自分を再確認するだけに終わっていました。
その悶々期間にピリオドを打てたのは金城幸政さんのメソッドで
「今時、親に愛されなかったなんてフツー」
「子供って断片的に1場面の目撃者・体験者にされたときに無力だから、その時その場で解決できなかった自分に対する怒りがある」
「その根深い怒りや嫌悪感は共依存してるから」
「どうしようもない親もいるの、だけど愛されていなかったと決めたのはあなた」
「人生ドロドロ劇場の主人公をしたいから、そういうストーリーにしがみついてるの」
「いいの心の中で親に親切すれば」
「親切というのは自分の感情を大事にして、NOという拒絶をする見えないラインを引くこと」でした。
これで泥沼の過去の、人生劇場から撤退した私は自分の感情を大事にできる
「書くこと」に方向転換していったの。
自分のホメホメ日記、感謝日記、ほぼ日手帳に、未来予祝、こういう「書き物」系のメソッドは自己啓発に多いけど、片っ端からやりました。
だけど、ここで「ウソ」を並べていることに気づけなかったので「効果」は芳しくない。最終的には筆跡と写経に辿り着きました。
だってウソつかなくて済むから
「身」「口」「意」が一致するもの!
「写経」も最初やってはカッコでやっていたので(ほぼ10年前)ありがたい言葉を書いている、難しい漢字を書いている、程度でした。
けれども平成25年、薬師寺さんに行って「初めての写経」で「知らず知らずに涙流す」というトランス・モードになって、「写経」にハマりました。
ハマったという言葉を使ってたけれど「脳が気持ちよすぎて」もはや「これ以上に気持ちよくなれる」瞑想はない。と実感したの。
それ以来は、辛い時は「写経」というストレス解消をして、凹んだ日々をやり過ごすパターンができてきた。
ドクター苫米地ですら般若心経を「幸せになる自己洗脳できる、お経」ということで、解説本を出してるくらい!
それから般若心経が「感謝のおまじない」「万能のご利益の引き寄せ」「宇宙の真理をたたえるお経」と確信してからは目の前がパーッと明るく開けたの。
その明るさは、静かな平和なあったかい波動エネルギー。
それもそのはず、たった10分、真言マントラを写経するだけで空海の「秘儀」で毎朝スッキリするんだから。
門を向こう側にぱーっと開けたら、明るいエネルギーが、もわもわーっと煙のようにこちらに入ってくる感じ。体が寝たまま雲の上に浮いている感じなんです!
この写経での「書く瞑想」=「覚醒シータ波」モードが書けば書くほど「感じられる」脳の仕組みができるの。
書く瞑想で波動をあげるスピードは、最速です。ヨガ瞑想、音楽療法なんて目じゃないスピード、もはや 「鬼にロケットランチャー」 状態!
自転車から新幹線に乗り換えるような速さだと私は思っています。