聖徳太子・空海・平清盛は、ペルシャ系レムリアン?
聖徳太子・空海・平清盛はペルシャ系レムリアン?
聖徳太子の母の名前には
穴穂部間人(はしひと)皇女埿部(はしひと)
穴穂部皇女はしひと→波斯(はし=ペルシャ人)
太子最古の記録
「上宮聖徳法王帝説
じょうぐうしょうとくほうおうていせつ」
によると、太子の母親の名前は
「穴穂部間人あなほべのはしひと」とあり
実は、この「はしひと」と言うのが、
聖徳太子がペルシャ人であるという説を
展開させているのです。
一説によると「はしひと」というのは、
ベルシャ人を「パルシーグ・パルシング」
と呼んでいた由来が指摘されています。
他にも聖徳太子がペルシャ系とされる
一番の有名な伝説伝説では
「その身長は優に180cm越え」ていた。
当時の日本人の男性の平均身長か
150cmから155cmであった時代に、
当時の人物としては飛び抜けて
長身であったと思われます。
空海も、ハイブリッド・レムリアンだと
私は考えていますが、
そして平安時代の平清盛も
レムリアン「海」タイプの人と
考えられるという説を展開します。
最初は、厳島神社には
大願寺の弁財天が祀られていました。
厳島神社の今の社殿は平清盛が
建てたものですが、お宮としては
それより早く、593年に建てられています。
ちょうど、推古天皇・聖徳太子の時代です。
現在は、
・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、
・田心姫命(たごりひめのみこと)、
・滞津姫命(たぎつひめのみこと)の
・宗像三女神が祀られていますが、
当初はもう1柱、御祭神が祀られていたそうです。
それは、現在は大願寺で秘仏となっている
「弁財天(べんざいてん)」です。
この弁財天の起源は、ペルシャ地方の
神話に出てくる「アナーヒター」だと
言われています。
その起源は「ゾロアスター教の海の神」
毎年元日に行われる舞楽の演目が
ペルシャ人にちなんでいることから
ペルシャとのつながりは否定できません。
厳島神社の高舞台では、
毎年元日の日の出から3時間の間、
舞楽「抜頭ばとう」が行われます。
抜頭とは、
「厳島神社の有名な舞楽であり、
厳島神社に古くから伝わる異国風の面を
装着して舞う舞楽です。
これは厳島神社の神職に伝わる舞です。
舞楽は単に舞うだけではなく、
物語があり、その内容を舞で表現します。
その物語とは「西域の胡人ペルシャ人が
無残に父をかみ殺されたので、
山に入りその無獸を見つけて復響をする」
というものです。
この抜頭が
異国人風のお面を付けて舞われます。
そして、
平清盛はペルシャ人の血を引いていた
可能性があると考えています。
まず、私がそう考える理由は
武士で貿易商人であった清盛、
殿上人になったときは
貴族から「スガメ」とディスられまくり
風貌をバカにされていたのですが、
スガメというのは斜視のことで
どこを見ているかわからないという
異様な眼力を指していると考えます。
私は瞳の色が薄く、横広でい大きな
くぼんだ堀の深い風貌だったと信じます。
※この理由は、私の母方の遺伝にもあって
86歳の母の身長でも170オーバー、
母方ではキャベツを食べると身長が伸びる!
だからキャベツを食べないジンクスまで
あるんです。
母たち兄弟は太平洋戦争中、田舎に疎開、
ともかく兄妹弟がいて4兄弟全員が
体格が良すぎて、食べ物を十分食べている
と、イジメられたということです。
入道と言われたほどの巨漢で
やっぱり、日本人離れしていた。
厳島神社は、平清盛により
現在の建築様式が確立されましたが
奈良興福寺の「大乗院寺社雑事記」には、
「外来人が営む蔵が京都三条坊門にある。
彼らは外国との貿易などをしているが、
そのことごとくは「平の姓」を名乗っている」
という記述があります。
もともと貿易商人の家系で、
平清盛はペルシャ系の血をひいていた
可能性が指摘されているのです。