竹を割ったようなさっぱりとした性格?
竹を割ったようなさっぱりとした性格?
私たちはとかく、出来事や状況、他の人たちを「いい」か「悪い」かのどちらかに振り分けようとするクセがある。
でも、本当は、どちらであり。
何でも、「いい」「悪い」というジャッジすることを、「白黒思考」とも呼びます。
「竹を割ったようなさっぱりした性格」と良い意味で真ん中を鷹揚に取れる方もいる。その反対に「白黒つけなきゃ気が済まない!」という方もいますよね!
「良い」or「悪い」・「白」or「黒」「0」or「100」・「敵」or「味方」
どちらかしかない、極端な考えは、大なり小なり誰もがもっている思考のクセではあるのですが、特に完璧主義の方やエリートと呼ばれる人の方が多いそうです。
白黒思考が強くなると、少しのミスですぐに諦めてしまったり…少し意見が食い違っただけで、相手を嫌ってしまったり…ということが起きやすくなります。
ミスや失敗、価値観の違いはあって当たり前のものですから、これでは、毎日が息苦しいですよね。
じゃあどうすればいいのか?
そこで重要なのが「グレーゾーンを持つ」ことです。
白黒思考になると「白か黒か」の2択になるので、その中間であるグレーゾーンが存在しません。これだと自分や他者に対して「許容範囲」が狭くなるので、少しでも価値観や理想と異なると「裏切られた」「信頼できない」
などと敵意につながる場合もあります。
それが、自分で「自分」を生きづらくしてしまうんですね。
しかし、
そもそも「いい」「悪い」は私たちの個人的な解釈であって、立場や価値観によって違ってくるのね。
「いい・悪い」ではなく、それでも『まぁいいか』の選択があるし、「好き・嫌い」ではなく『どちらでもない』の選択もあるわけ。
宙ぶらりんの立場は許容範囲が広がって、自分と違う価値観があってもOKだし、パートナーに嫌いな部分が見えてもOK、自分にだらしない部分があってもOK、にできちゃうんですね。
やまとの心の「和」とか「中庸」って、あいまいでいいよ、というファジーな思考。
私はヘタレなんで、こちらが好みです。争いごとが極端に嫌いだし・・・
「良い・悪い」と判断するのをやめれば、立場を明らかにした切迫感からは
解放されて、穏やかな心でいられます。
なので、どっちでもないグレーゾーンもあるんだよ、と「宙ぶらりんの立場」になって、嫌な部分や違う価値観にも「ま、いいか」を出してあげてください。
そうすることで「正義の怒り」から解放されるし・・・囚われずに済む。
「竹を割ったようなさっぱりした性格」と良い意味で真ん中を鷹揚に取れる方もいる。それは、大抵のことは「まぁ、いいか」とサッパリ、キッパリ流せるから。
そう考えると、心がずっと軽くなると思います。
今よりももっと心穏やかな状態で過ごせるようになったり、人間関係が好転したり、さらに自分に自信を持てるようになると思います。
「まぁ、いいか」というのはある意味、あなたの選択が白黒のどちらかを選んでも、
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その選んだ結果に苦しまないっていう、上手な心の使い方。
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ネガティブな、波動を自分の中で、産するのをやめれる、量子力学的には、コスパのよい、フォトンの使い方。