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久保田順一訳『現代語訳 関八州古戦録』上・下

 11月末に刊行した新刊、久保田順一訳『現代語訳 関八州古戦録』上・下をご紹介します。

 『関八州古戦録』とは、江戸時代に槙島昭武によって書かれた軍記物で、河越合戦から小田原合戦にいたる関東の戦国史がダイナミックに描かれています。後世に描かれた軍記物ですから、誤りや脚色ももちろんありますが、戦国の合戦の様子を生々しく伝えており、読む者を飽きさせません。

 以下、上巻の「序にかえて」より一部抜粋します。

 本書は、槇島昭武の著書『関東古戦録』の巻十までを現代文に改めたものであり、巻十一以降は下巻として刊行する。『関八州古戦録』とも呼ばれており、一般的にはこの名で通っている。槇島は自序にあたる「標題」で自ら『関東古戦録』と記しているので、二〇〇二年に刊行した元版では書名を『関東古戦録』としたが、今回は『関八州古戦録』とした。なお、翻案にあたってはできるだけ忠実にその内容を再現することとしたが、表現については現代人に理解しやすいように改めた。誇大な表現や瑣末な点については妥当な表現に変え、除した部分もある。ただし、全体的にはその内容に変更点はない。また、明らかな誤りについては訂正したが、地名・人名などについては特に改めていない。
 原本は『史籍集覧』に拠った。『史籍集覧』は旧岡崎藩儒者近藤瓶城が明治十四年(一八八一)から刊行したもので、本書は翌年十二月に『関八州古戦録』として発刊されている。なお、明治三十三年からは子の圭造とともに新たな収録書物も加えて『改定史籍集覧』を再版したが、ここにも再録されている。著者の槇島昭武は駒谷散人と号し、近江膳所藩本多家の浪人であるという。生没年等については不詳である。元禄十年(一六九八)に『北越軍談』を著して以後、執筆活動を開始し、「標題」によると本書は享保丙午(享保十一年、一七二六)春に発刊された。この時期は彼が執筆活動を始めて三十年余となり、槇島としては円熟を加えた頃と考えられる。「標題」で槇島は個々の事実を重視し、歴史の中の善と悪を示し、人々にその手本(殷鑑)を示すと記している。『太平記』を見本としていることは明らかである。
 近世初頭以後に書かれた軍記類などを数多く博捜したようで、人名についてもそれらしい人物を数多くあげており、かなり細かな地域的な合戦まで掘り起こしているのは驚くべきことである。ただし、全体的には儒教的な歴史観によって個々の史実を解釈しようとする傾向が強く、戦闘場面や君臣のやり取りなどでは文学的な表現に溢れ、登場人物に自らの倫理観を述べさせているのはやむをえないことであろう。
 本書では、河越合戦(河越の夜戦)から書き起こしている。槇島は天文から天正までの関東の合戦を描くことを目標に設定しているが、この時期は応仁の乱、関東では享徳の乱から始まった内乱がいよいよ激しく拡大していた時期で、本来の戦国時代の幕開けとも考えられる。また、河越合戦は、古河公方足利晴氏・関東管領山内上杉憲政が総力をあげて、新興の北条氏に挑んだもので、旧勢力と新勢力の交代の時期であろう。これに勝利した北条氏が戦国の雄に成長し、そのことによって越後の長尾景虎・甲斐の武田信玄の関東侵攻を誘うことになり、この構成は戦国時代後半の出発点にふさわしいものといえる。次に、大きな戦いとして描かれているのは永禄七年(一五六四)の国府台合戦であろう。これによって北条氏の関東における覇権が確立することになった。槇島のこの着眼点はすぐれたものがある。
 しかし、本書には江戸時代という時代的制約があり、個々の事実の中には多くの誤りや虚構がある。史料も十分に揃っておらず、史料批判が厳密ではない時代にはある程度は止むえないことであろう。例えば近年、山内上杉憲政の越後入国は永禄元年であることが明らかにされ、長尾景虎の越山は永禄三年が最初で、それ以前はまったく想定されない。小田原(神奈川県小田原市)を直接攻めたのも、翌永禄四年が最初でこれが最後となった。武田信玄の関東進出の最初は永禄四年のことである。武田家が箕輪城(群馬県高崎市)の長野氏を滅ぼして、利根川以西の西上州を完全に制圧したのは永禄六年ではなく、同九年のことであった。また、上杉謙信が上野仁田山城(同桐生市)を攻めて楯籠もった男女をことごとく撫で切りにしたのは、本書では弘治元年(一五五五)のこととしているが、史料によれば天正二年(一五七四)の出来事であった。
 本書巻十では、高津戸要害山城(群馬県みどり市)に楯籠もった里見随見兄弟の悲劇を載せる。兄弟の父里見実堯は安房を逃れて上野に下り、桐生氏に仕えたが佞臣の讒言によって殺される。兄弟はその仇を討つため越後から戻り、黒川谷の松島・阿久沢氏の援助で高津戸に城を構えて仇の石原某を狙ったが、逆に由良氏の手勢に攻め込まれて討ち死にした。このことに関しては同時代の史料にはまったく見えない。これは、軍記物の中で作られた挿話であろう。このように誤った記述を信用してそのまま用い、話を劇的にするため虚構を交えている部分も少なくない。
 本書が成って三〇〇年ほどが経過し、戦国時代研究も大きく進歩し、本書とは異なった歴史像が書けるであろう。現在は北条氏・武田氏・上杉氏など戦国大名ごとに研究が蓄積され、研究書が出されている。また、独自に研究をめざしている向きには史料集も出され、今まで一部の研究者しか見られなかったものも一般の目にふれることが容易にできるようになった。本書に関わるものでは北条氏の『戰國遺文』後北条氏編や上杉氏関係の『歴代古案』などであり、さらに各県ごとの県史や市町村史も刊行され、資料の編纂と通史の記述が行われている。しかし、関東という大きな地域を対象にして大小の合戦まで網羅することはなかなか困難である。本書は制約もあるが、関東の戦国史の醍醐味をそれなりに味あわせてくれるものである。
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 上巻では河越城、松山城、平井城、国府台合戦、三増峠の戦いなどをめぐる北条・古河公方・武田・上杉・里見・佐竹らの激闘を、下巻では神流川の戦い、金山城、鉢形城、忍城、小田原城などをめぐる北条・武田・上杉・織田・豊臣氏らの激闘を収録しました。
 また冒頭の戦国時代関東関連地図のほか、理解を助ける系図・肖像画・現況写真を多数掲載しています。
 『関八州古戦録』をわかりやすい現代語訳で記した本書、ぜひこの機会にお読みください。
                             文責:丸山

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