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『文章講座植物園』試し読み 小山智弘「苺ジャム」 

小山智弘「苺ジャム」より抜粋。作品ごとに異なる挿画もお楽しみください。

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 種を植えた。公民館の家庭菜園教室を任された。慈善活動を名目に、敷地を私物化していたからだろう。色とりどりの花と野菜があふれていている。道行く人が眺めたり、写真を撮ったり、時に絵を描いたり、図鑑を片手に眺めたりしている自慢の庭だ。自治体のものだが、種の用意も土作りも行った。
 教室は4月から9月まで二週間に一度あるそうだ。苗から育てて収穫と種取りを行う。私のような素人が行って良いのかと尋ねれば、もともとそのような企画だと言われた。教室と言うが同好会のようなものなのだろう。おそらく私が今後も敷地の手入れをする正当性を内外に示すために開いてくれたのだ。ここでの時間は本業ではないが人生の彩だ。
 しばらくして、参加者から事前アンケートが届いた。60人強でほとんどが家族連れだ。予想を上回る規模に対し、手伝いがついた。朱未あけみさんだ。公民館で時々顔を合わせる私と年齢が近い女性で、毎週決まった時間に図書館にいる。見かけた日は良いことが起きる。なぜならば彼女を見かけることが出来たから。
半年ほど前料理教室で同じ班になった。
「初めまして長門ながとです。よろしくお願いします」
朱未あけみです。長門ながとさん、よく花壇の手入れをされていますよね」
 自然と話せたと思う。出来るだけさわやかになるよう心掛けた。清潔感のある服を着て行ったし、眉も整え、化粧水とリップクリームも付けてきた。下心は隠せたはずだ。
 それから朱未あけみさんとは顔を会わせるたび、世間話するようになった。
 帰り道公民館内の図書館より、読みたかった本を借りる。わけもなく公民館で本を読み、朱未あけみさんと会えれば雑談。図書館に用がない日も庭の手入れをしたりする。朱未あけみさんが通りかかれば「綺麗な花ですね」と雑談。時々公民館の行事で一緒に活動したりもする。少しずつ距離が近づいている。頻繁に話すため意識されてきた。彼女から話しかけてくれることが多いし、笑うことが増えた。連絡先を交換したいが、ほぼ毎日顔を会わせるため、逆に機会がない。しかし自然な流れならば出来そうだ。
 事前アンケートに朱未あけみさんの名を見つけ舞い上がった。アンケートを参考に種を揃える。種を取るまでが目的なので、固定種の種を使う。固定種の苗は高級品だが、種ならば安価で他と変わらない値段になる。その分育成は難しいが、私には出来る。
 野菜と花どちらも育てる教室だ。花ではボリジやマリーゴールドが人気だ。野菜ではトマトやナス、きゅうりが人気だった。比較的育てやすい。その中で一人苺を育てたいと言う人がいた。朱未あけみさんだ。
苺の育成は難しい。種を取るなら尚更なおさらだ。お店で売っているような品種の苺は種をとっても同じ苺を収穫することが出来ない。株分けすれば増やすことが出来るが教室の趣旨からは離れる。野生種に近い苺の種ならば可能だが、余り出回っていないし、味、安全性、育てやすさなどの高品質なものを見つけることは難しい。しかし彼女の希望なのだから頑張ってみよう。
 だいたいの品種と仕入れ先を見つけた。夕方、朱未あけみさんが来た。
朱未あけみさん。教室のことなんですが」
 私の話を聞いた朱未あけみさんは「失礼」と携帯で何かを調べたのち、苺の種類を快諾してくれた。
 その時、朱未あけみさんが教室のお手伝いしてくださると知った。今後の連絡のためにと連絡先を教えてくれた。SNSのアカウントだ。QRコードを写し、フォローするとすぐに、フォローが返ってきて、DMに可愛らしいスタンプと「よろしくお願いします」と言う言葉が届いた。表アカウントを作っておいて良かった。
彼女はアカウントもきれいだった。読んだ本の感想や好きな花の写真をあげている。そのうちの半数は私が育てたものだ。
 少し前の投稿を見れば、「エキネシア。花言葉は「深い愛」「優しさ」「あなたの痛みを癒します」近くに綺麗な花壇があって、毎年この時期に愛でられます。ピンク色で美しく立派で元気な花に、甘い香りに花言葉も可憐で大好きな花です。先日エキネシアのハーブティーを頂きましたが体が芯まで温かくなりました。私はエキネシアが大好きです」と書かれていた。
 写真の花は私のものだ。エキネシアのハーブティーも先日送ったものだ。朱未あけみさんに大好きだと褒められたようで部屋で一人舞い上がった。
そういえば朱未あけみさんが育てたい花はエキネシアだった。こちらは私が採取した種がある。素敵な教室にしたい。
 DMで予定を合わせた。3日後の11時に苗を作ることになった。その間SNSで彼女の読んだ本について書いた投稿にいいねボタンを押したり、逆に彼女が私の作った料理にいいねボタンを押してくれたりした。お互いコメントはないが、彼女にいいねされるたび舞い上がった。
 待ち合わせの日、朱未あけみさんは鼠色の長袖Tシャツにジーンズだった。普段とは雰囲気が異なるがいつもと変わらず可愛らしい。
することは一人でも二人でも変わらない。朱未あけみさんは庭も畑も得意ではなく、これまで育てた植物はすべて枯らしてきたそうだ。
「花の種を蒔いても全く芽が出なくて。水もやってたんだけど。長門ながとさんはどうやって発芽させてるんですが」
「特別なことはしていませんよ。しいて言うなら種の声を聞いています。元気に育って欲しいって祈りながら」
 カッコつけてみた。大切なのは事実だけど。
「料理みたいですね」
 朱未あけみさんは優しかった。おだてられた気もするが、関わり方の一つだ。育苗箱に播種はしゅ用に調整した土を入れる。如雨露じょうろで水をたっぷりあげた後、余計な水を出し、受け皿を敷く、そこに種を一粒ずつ入れる。最後にヒートマットの上に乗せて、ふたをつける。出来ることはした。後は待つのみだ。
 事務所に報告したのち、「今日はありがとうございました」。朱未あけみさんにエキネシアハーブティを渡した。
「投稿を見ました。家にたくさんあるので、良かったらもって帰ってください」
「ありがとうございます。これ好きなんです。見て下さったんですね」
「はい」
「お気に入りなんですよ。大切な日に飲んでいて、いい水を使って」
「水ですか」
「特別な水を箱買いして、玉に使っているんです」
「それは美味しそうだ」
「美味しいですよ」
「飲んでみたいな」
「ぜひ今度」
 そう言ったが、特に約束はしない。
 しばらくしてエキネシア、トマトキュウリと順調に芽が出た。苺の芽はなかなかでない。
 土と種に祈った。出るまで祈れば、若葉が萌えた。
 すくすくと育っていった。育苗箱から苗ポットに移しかえた。苗ポットを育苗用トレーに入れて、ヒートマットの上に置いた。教室は次の土曜日に始まる。
苗の前に知らない少女がいた。赤に黄色の水玉ワンピース、緑のリボンがついたゴムで高い位置でふたつ結びしている。ツインテールと言うには短く、毛先は耳の真ん中あたり。
長門ながと今後の教室楽しみやな」
 話されて驚いたが、参加者のようだ。
 子ども向けの声を作る。
「こんにちは」
「こんちには」
「教室に参加してくれるの」
「うん。もちろんやで」
「ありがとう」
くるしゅうない。あ、うちの名前は彩音あやねやで」
彩音あやねちゃんっていうのか。彩音あやねちゃん土曜日の教室楽しみにしておいてね」
「もちろんやで、長門ながとも楽しみに待っててな」
 図書館へ向かった。朱未あけみさんは今日もいた。
 教室の日が来た。だいたい親子ずれが20組とご年配の方が10人、中年から若者は4人ほど。元気な雰囲気を出す。善良な人が多いのか、和やかな雰囲気で始まった。
 そこまで難しいことはしない。土は出来ているから、プランターに土と苗を入れ、水をやるだけだ。ほとんどの内容は植物を見ながら話すものだった。慣れている人からすれば10分で終わるような内容に二時間半使った。日常にないことにふれるのは新しい発見をくれる。異文化の言葉を使うような、新しい自分の発見。
 親子連れに話しかけられた。今度はご老人、その次は同年代。和やかな時間が流れる。朱未あけみさんも同じく対応している。事前に準備してどのように対応すればいいか話しておいた。その甲斐あってか講師役をものにしている。元来知的で人付き合いも得意なのか、自信と余裕を感じさせる。
 彩音あやねちゃんもいた。手持ち無沙汰にしていたが、次第に溶け込み、最後には朱未あけみさんに抱っこしてもらっていた。
 公民館の裏に参加者それぞれの花と野菜のプランターが並ぶ。それぞれの名前を書いて写真を撮る。満足感のある教室だった。参加者の表情を見れば解る。成果に誇りを持ちたい。
「お疲れ様です」
 教室の後朱未あけみさんと話した。
「これ水出しハーブティです。良かったらどうぞ」
 水筒を差し出す朱未あけみさん。
「ありがとうございます」
 受取り、一口飲む。上手い。葉の風味が水に出て奥深い味わいを出している。
「美味しいですね。エキネシアの水出しハーブティを飲むのは初めてです」
「そうなんですか」
「はい。なかなか手が出せなくて」
「一晩おいておくだけですよ」
「自分で作った時はここまで美味しくならなかった。どうしてもぼやけた味になってしまって」
「ただの慣れですよ。長門ながとさんも出来ますよ」
「コツがつかめたらいいんですが」
「今度一緒に作ってみませんか」
「いいんですか。ぜひ」
 日時を決めようとした。少し目を離したすきに朱未あけみさんはいなくなっていた。大丈夫だ、また会える。
長門ながと教室面白かったんやん」
 彩音あやねちゃんに話しかけられた。
「ありがとう」
「なんや、うちが知らん間に朱未ともいい感じになってるやん」
「そう見える」
「うん」
「嬉しいな」
「応援してるで」
「ありがとう。ところで彩音あやねちゃんは今日は誰と来たんだい。家庭の人と一緒」
「うーん」言葉に詰まっている。
「お父さんとか、お母さんとかは」
「うーん。お父さんもお母さんもあったことないねん」
 しまった。迂闊うかつだった。
「今はちゃうところで暮らしてる」
「そうなんだ」
長門ながとらのおかげで毎日楽しいで」
「ありがとう」
「次の教室は再来週やろ」
「うん」
「寂しいから。またここに来てくれない」
「待ち合わせ」
「うん。おるから昼でも夕方でも来てや」
何となく歩み寄りたくなる。
「いいよ」
「約束やで、また明日にでも来てな」
 朱未あけみさんからDMが来た。最近買った本の話だ。読みたかった新刊だ。今度貸してくれるそうだ。「楽しみにしています」と返した。

挿画:今村建朗

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続きは『文章講座植物園』にてお読みいただけます。

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