同志少女よ、敵を撃て(早川書房)著 逢坂冬馬
【この戦争の全ての犠牲者を救う為、本当の宿敵を撃ち抜け】
独ソ戦が激化する時代で、故郷の人達の命を奪われた少女が、女性狙撃手として憎むべき宿敵を討つ物語。
ささやかだが暖かな家庭に恵まれていたセラフィマ。
しかし、ドイツ人に尊厳も安寧も無視され大切な人達が殺害される。
深い哀しみはやがて迸る怒りへと、明確な殺意へ変わる。
軍隊に入隊した彼女を待っていたのは、戦争の道具として利用される仲間達と、この世の地獄の様な壮絶な戦場。
敵兵を殺すごとに歪んでいく正義感と目標。
自らの使命に問いかける。
戦争とは一体何なのだろうか?
普通に暮している一般市民が人を殺したいなんて思うはずがない。
上に立つ者の責任は重い。
市民を楯に自身の権力や財を守ることは許されない。
一人一人をみれば常識がある優しい人でも、集団になったことで良心の欠落にいたる恐ろしさ。
少女、少年だったセルフィマも、シャルロッタもユリアンも戦争に関わらず狙撃兵にならなければ、それぞれの未来の夢に向かって大人になっていただろう。
戦争が終わっても、こんなにも人の心に傷が残るのに、無念さと残酷さが終わらない痛みとして残り続ける。
国や人種なんて関係ない。
戦争は人を筆舌しがたい狂気に陥れる。
国にかかわらず戦争の犠牲につきものなのは子供や老人、女性への暴行や屈辱なのだ。
本作の少女たちにとって、宿敵はドイツ軍であり、ロシアの体制であり、男たちであり、抗うことは大変な労力がいる物であり、戦う中で何度も自らの心の闇に呑まれて、狂気に引き込まされそうになる、人を殺すのが楽しいと思ってしまう自分に恐ろしさを覚える、ギリギリの境界線の中で、何とか踏み止まるのだ。
信念を腐らせてしまえば、自らも憎むべき宿敵と同列の存在に成り果ててしまう。
勧善懲悪とは?
人間の尊厳とは?
憎しみの連鎖は何故なくならないのか?
なぜ性差別が起こるのか?
そして、少女にとって本当の敵とは一体何なのか?
理不尽に命が奪われる戦場で、セラフィマは何度も自分にそれらを問いかける。
同士と笑ったり、未来を夢見たり、復讐に燃え、殺した敵を数えて競い合う事。
それを正義と信じる姿の歪さ。
争いや戦争は人を悪魔に変える。
善良な市民が戦争に駆り出され、歪みながらも自己肯定しながら戦い続ける。
その心に残った傷を背負って、戦争が終わった平時の生活に戻らなくてはならない。
立ち止まってしまえば、無念に散っていった家族や同胞や仲間達の死が無意味になる。
この哀しみの連鎖を引き起こす戦争を終わらせる事。
この戦争こそが憎むべき宿敵。
自らを血も涙もない修羅と変えようが。
それでも戦争を終わらせる事が、彼女が背負う宿願なのだ。
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