自分にとっての贅沢な旅を考えた
こちらの本に寄せて。
今回のタイ旅行の道連れ、友人はフリーランスで仕事をしている。業務委託という形で契約を結び、今回の旅行中も契約に従い平日は5時間程度稼働している。
つまり自分は一人呑気に外をそぞろ歩きし、友人は室内のWi-Fiで作業に勤しんでいる状況だ。多少気が引けないこともないけれど、一緒に部屋にいても自分が手伝えることはないし返って向こうにも気を遣わせてしまいかねないので、開き直って自由に単独行動させてもらい、時間が合えば食事を一緒にしたり街ブラしたりする。
この状況は自分にとり非常に気楽だ。一つ前の旅行は今回より短期間であったこともあり、友人とは常に一緒に行動していた。楽しいし心強い。特に典型的地図の読めない人種なので道連れは有り難い。だがしかし、同じくらい道に迷う旅も楽しいものなのだ。
人気のない通りで進むも恐怖、戻るも疲労の状況に陥るときもある。言葉が通じず阿波おどりのごとく謎のジェスチャーをする人になるときもある。
けれどそれが楽しい。
軽い緊張状態でアドレナリンがドバドバ出まくって、我ながら分からないテンションで生を実感している。目に映るものすべてが新しいものでクラクラする。
自己責任の下で自由に歩き回る間は、答えもないようなとりとめもないことを考えたり。周囲が理解できない異国語だから余分な情報が入ってきにくくて、頭の中の日本語がより奔放になる気がする。
だから楽しい。
旅の本質は、知らないものを見聞きすること、そしていつもの生活圏から遠く離れた土地で自分を見つめ直すこと。
日々の雑多なことに紛れてしまいそうな小さなことを丁寧に取り上げて、普段と違う空気のもと、じっくりと眺めてみればきっと新しい気持ちが芽生える。
こうして書いているnoteも大した内容ではないけれど、最中の心境はやはりり常とは異なる。良いか悪いかではなくて、ただいつもと違う、というだけでなんとなくいい気分になれる。
折角だからと名所や名物を忙しく回る旅も旅。
旅に来てじっと一人一処に留まるも、また旅。
ちょっと疲れた時に気軽に言葉を交わせる友人が側にいる心地よさ。今回は非常に贅沢な時間の使い方をしています。