お雛様、人魚姫、相関性は

3月3日、たんごのせっく。それが終わりますればお雛様はお姫様をお休みする。豪奢な小箱に入れられて、しまわれて、片付けられて、来年までお姫様は休業になる。お雛様のお姫様である期間は短かい。

それは、しかし命がみじかいと同義ではなかった。お雛様はある面では永遠の命を活きるお姫様。端午の節句が繰り返されるたび、お姫様に返り咲く。そうしたお姫様。お雛様は概念のうえでは永遠の女性であって永遠のお姫様なのである。たとえ、箱にしまわれて、二度と開けられる日が来なくとも。

ひな祭りが起こりさえすれば、お雛様は、箱のなかでもお姫様になる。これを観測する者がおらずとも。

そのお姫様の生き方は、海に生きる、ごく少数の人魚たちに通じていた。人魚たちは人魚姫と呼ばれるけれど、根拠はなく、お姫様であることの由来はなかった。お内裏様や子どもたちの支持がなくともお姫様である。箱のなかにはいられずとも、お姫様である。誰も観測しなくとも。

勝手にひとりでにお姫様なのである。

相関性? ああそんな話であった。相関性は、ない。

対局にいるお姫様、それがお雛様と人魚姫である。
必ず持て囃されて姫様となり、その後は休憩をして、しかしいつでも端午の節句にはお姫様に戻る、お雛様。
一方、なにもなんら関係なく永遠にただ一匹でもずぅっと。ずぅとお姫様であるもの、それが人魚姫。

お互いを羨ましく思うことなど、もちろんない。お姫様だもの。お姫様たちは、お姫様なのでやっぱり最強である。

1日のためのお姫様でも、1日もお姫様とはあつかわれずともお姫様であっても。
人種差のような、お姫様の差、ちがい、そんな話。


END.

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