内なる声を掘り起こすプロパガンダーー辻田真佐憲・西田亮介『新プロパガンダ論』ゲンロン

プロパガンダについて調べる必要があったので読んでみた。辻田の『たのしいプロパガンダ』は持ってるし読んでいるのだが、本棚から発見できなかったので、せっかくなら『新』がついているこちらの本を読んでみた。評論家・歴史家の辻田真佐憲と、社会学者の西田亮介との対談本。全5回の対談は、2018年から2020年の9月にわたる。安倍政権下であった衆議院選挙での各党のウェブ戦略や、ハッシュタクアクティビズム(ハッシュタグをつけたウェブ上の抗議活動)、コロナ禍に入って安倍総理が辞任するまで。2024年の今では、安倍総理のその後や、コロナ禍の混乱、最近の選挙におけるインターネット活用(アメリカ大統領選から兵庫県知事選まで)などを思いながら読んでいた。選挙でのウェブ活用は、非常にホットなトピックになっていて、しかし現在の論点はすでにこの本でも指摘されているので、さすがである。ただ、この本が出た当時では想像しえなかった「強度(激しさ)」でウェブが活用(利用?濫用?)されているのが現状だろう。

さて、プロパガンダとは何なのか。辻田は「プロパガンダとは、政治的な意図にもとづき、相手の思考や行動に、しばしば相手の意向を尊重せずに影響を与えようとする、組織的な宣伝活動である」と定義する。政治的な主張を組織的に広報し、ときに相手が予想しなかった場面で影響を及ぼすことがプロパガンダ、である。辻田の指摘で大事なのは、プロパガンダというと上(国家権力、政府、軍など)から強制的に国民に思想を注入するというイメージ(弾丸理論、というらしい)を連想するが、現実には、もっと「たのしい」ものであるという点だ(辻田には『たのしいプロパガンダ』という本があるのは、すでに述べた。)第二次世界大戦中の政府・軍のプロパガンダは「Win-Win-Winの関係」と言っている。政府・軍部は宣伝ができる、企業・業界はものが売れる(歌や本などの娯楽)、民衆にとってはエンタメを楽しめるのだ。辻田は『ポリタスTV』で「プロパガンダは足し算ではなく掛け算」「何もないところでは効果は発揮できない」「すでにあるものを倍にする」という発言もしていた(※発言は正確な引用ではない)。「盛り上げる」というその場の空気ができると、「政治的な主張」は、上から下へという一方的に押し付けられるのではなく、上下左右その場にいるものたちの間でノリノリで共有されるのだ。戦時に利用されるプロパガンダを、戦後に批判的に検証したときに、誰が悪いかといえば、その場に参加していたものがそれぞれ関わり方に軽重はあるがそれぞれが責任があるとするべきなのだろうが、実際は「上からの押し付けでした」「一般市民は洗脳されていました」となりがちである。そうなったほうが、都合が良い人もいるからだろうか、批判的に検証できないとまた同じことが繰り返されるだろう。という意味で、辻田はプロパガンダ研究は「ワクチン」だと言う。

もう一つ興味深いのは、プロパガンダが実際にどこまで効果をもったのかを客観的に測定できないだろうという指摘だ。「情報戦略の成功神話」がプロパガンダの影響力を実体よりも大きく見せているのではないか? あるいは反対にウェブでのプロパガンダを実体よりも少なくみつもってしまうのではないか? ケンブリッジアナリティカのアメリカ大統領選への影響力は、大きくみられている(盛られている)のではと西田は指摘するが、同様の指摘はデイヴィッド・サンプターが『数学者が検証! アルゴリズムはどれほど人を支配しているのか』でしていた。今年の都知事選、衆院選、兵庫県知事選を見ると、ウェブがよくリーチした層というのは確実に存在するが、何もないところに思想を注入したというよりも、立候補者の声が届いたことで投票者の考えが引き出され投票行動に結びついたのでは、というのが私の印象。そして、現代の政治において、複雑な問題を理解し投票行動につなげられる人なんてほとんどいないんで(私もだけど)、なんとなくのイメージが伝わると投票に行くのではなかろうか。


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