魔法と科学のあいだ――高橋昌一郎『反オカルト論』(光文社新書)評

アーサー・C・クラークは「十分に発達した科学は魔法と区別が付かない」(Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic.)といった。オカルトはオカルトを信じているものにとっては「真実」であるが、それを信じないものにとっては、非合理的で、時に宗教的、スピリチュアル的に見える。科学的手法、証拠や再現性とは無縁で、どんなに論理的に反駁しようとも、オカルトを信じているものには届かない。…というのは科学vsオカルトの、基本的な図式だろう。

本書は、スピリチュアリズムという言葉で降霊会をやって金を稼ぎ、のちにインチキだったと告白したフォックス姉妹や、スピリチュアルなものに没頭したコナン・ドイル、逆にインチキを徹底的に暴いたマジシャン・フーディニーのエピソードが語られる。科学者や、科学的な考え方をする人でも、霊媒師たちに騙され、彼ら彼女らの積極的な支援者になる例は枚挙に暇がない。19世紀末から20世紀初頭にかけての話から、今度は21世紀の日本、STAP細胞の話になる。理化学研究所の研究者が発見した「夢の万能細胞」が研究不正と捏造論文の産物だった。騒動は、2014年の話。いまから10年前か。STPA細胞は、心霊現象ではないので教義のオカルトではないが、ないものをあると偽り、科学的トレーニングを積んだプロの研究者が見抜けなかった点では、筆者が紹介しているオカルト事例と連なる。

科学者であるがゆえにマジシャンのトリックに騙されてしまう。一度、信じてしまうともともと頭の良い人たちなので、自分の信念を合理化するために、積極的な支持者になる。…と筆者は騙されてしまった科学者たちの心理傾向をなぞる。なるほど。しかし、これは科学の盲点ではないか。

スピリチュアルも現代科学も、その効用が「人の心を安心させる」ものであれば、そのプロセス自体ははっきりいってどうでもよいのではないか。御利益があれば、それは御利益なのだ。科学はもう巨大化しすぎて、因果関係が不明、階層化され全体もわからず、結果ブラックボックスになっていく(港千尋『インフラグラム』講談社選書メチエ)。スマートフォンもインターネットの仕組みも私たちのほとんどは、わかっていないが、それでもまがりなりにも使いこなせている。神社でおみくじを引くのと、何が違うのだろうか。たぶんオカルト的な発想は人間の脳の原始的な部分をハッキングしている。原始的な脳は、現代の科学がどれほど精緻になっても、原始的なままだ。むしろ脳と科学のあいだのギャップは広がっていき、ハッキングされやすいのでは? という気がする。本書は教授と助手の対話形式で話が進んでいくが、家族や知り合いが生老病死にかかわる人間の苦悩からスピリチュアルにはまっていく…どうしよう? という話のスタートが多かった。そんな弱点を抱えた脳も科学でアップデートできるという発想はポストヒューマニズム(トランスヒューマニズム)だろうが、たいはんの人はそこまでいかず、どこかで魔法と科学のあいだをなんとなく分ける。それを慣習というのか、文化というのか、あるいは宗教というのか。


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