取材で明らかになるコロナ陰謀論の実態――読売新聞大阪本社社会部『情報パンデミック』(中央公論新社)

読売新聞大阪本社社会部による調査報道のまとめ。紙面では「虚実のはざま」と題した特集だったようだが、記事には載せられなかった取材内容や紙面への反響も本書には収録されている。入り口はコロナ禍での陰謀論だが、出口はもっと広い。どうして人は陰謀論にハマるのか? ハマってしまうとどうなるのか? どうやったら、抜け出せるのか? そもそも、ハマらないようにするにはどうしたらよいのか? というウェブ時代の情報リテラシーの話である。

しかし、読めばわかるが、沼は深く、入ってしまうとなかなか出られない。そして沼はどこにでも口を開けているので、誰もがふいに落っこちる可能性がある。本書は、新聞記者がチームで書いたものだけあって、取材対象の声がとにかく印象的である。幸いにして私の周りにはコロナふくめ陰謀論に取り込まれてしまった人はいないと思うのだが、現実にはそのような人も多く、仕事や家族を失う事態にもなるようなのだ。陰謀論にハマった本人、その家族だけではなく、ウェブ上で陰謀論を拡散する人、それも「善意(真実を伝えよう!)」という人だけではなく、ウソ・フェイクだと分かったうえで「ビジネス」のためにやっている人もいて、取材班はビジネス陰謀論者にも取材しているのだ。

コロナ禍での陰謀論とはどんなものだろうか? 「コロナウィルスは存在しない」「PCRはでっちあげ」「ワクチンは毒/不妊になる/人口削減のため」「ワクチンにはマイクロチップが入っている」「ワクチンで遺伝子が組み代わる」「ビル・ゲイツが黒幕」など。どれか(似たようなものもふくめ)聞いたことがあるだろうか? 一時期、ノーマスクのデモや電車への集団乗車などは、話題になった。前回(2020年)の都知事選では「コロナはただの風邪」を主張する候補者もいた。

科学的に否定されている情報を「真実」として受け止め、「正義(人の命)」のために拡散するのはなぜだろうか? コロナ禍で、経済的・社会的に孤立した人やそもそも不安が強い人が、世の中の「おかしさ」に「わかりやすい」解決を求める時、陰謀論に引き込まれる。取材に答えている。休業を余儀なくされた老舗居酒屋の店主や、ゲストハウスの経営に苦しむオーナーは、経済的な困窮が(も)原因だろう。外出自粛で人との接触が減る一方、感染症対策による社会的不安・ストレスが増えていき、スキマ時間に見たYouTubeが入り口という女性もいる。

陰謀論にハマる構造・要素は繰り返し指摘されている。人間の認知バイアス(認知の癖)のひとつ「確証バイアス」――自分が正しいと思う情報ばかりを集めてしまう傾向。インターネットは高度にパーソナライズ(個人化)されていて、入ってくる情報が自分好みに偏っている(フィルター・バブル)。ひとたびYouTubeやSNSに接し、履歴を残したりイイネを押したりすると、似たようなコンテンツが次々に紹介される。自分の周りが、自分と同じ意見の他者で埋め尽くされ、自分の意見が世の中の「真実」だと思う(エコー・チェンバー)。取材班が傾向としてあげるのは「中高年のYouTube」である。また、知識・関心があっても、より陰謀論の沼を深くほっていくだけで、陰謀論の相対化にはつながりにくい。

どうしたらよいのか? 「情報リテラシーを高める」ほかないのだが、これが簡単にできればこんなことにはなっていない。そもそも「情報源」が虚実ないまぜになっていて、良くできたフェイクも氾濫している。ビジネス目的で嘘を拡散する人もいるし、善意で「真実」を広げる人もいる。100%の断言が理論的にできない科学の態度に不安を覚える人、政府やメディアへの反発がある人は、「ネットで見つけた真実」に飛びついてしまうかもしれない。社会は複雑で、わからないものはわからないのだが、「わからないまま」でいつづけることも心理的なストレスになる。家族が陰謀論にハマってしまい、家族関係が壊れた人が何人も取材に答えている。陰謀論から脱出するためのノウハウはないに等しく、かろうじてカルト宗教からの脱洗脳が役に立つのでは、と紹介されている。陰謀論は「これからの問題」なのだろう。

研究者の鳥海不二夫らが提唱するインフォーメション・ヘルス(情報的健康)という概念が面白い。自分たちが摂取する情報がどの程度、偏っているのか表示し、バランスのよい情報の摂取、デジタル・ダイエットをしようというのだ。しかし、この提案は難しくもある。情報の健康は、身体の健康よりもイデオロギー的なものであり、「情報的健康」を誰がどうやって定義するのか、困難である。さらになんらかの「偏り」を表示できたとして、その偏りを意識した上で情報を摂取する人を、とめることはできないのだ。ジャンクフードを好む人が例に挙げられていたが、ジャンクな情報を意識的に摂取している人がいたとして、その人に「自覚」を促せるのか。(自覚を促して良いのか?)

私はコロナ禍におけるワクチン政策は間違いではなかったと思う。とはいえ、当初の目論見からだいぶずれてしまったのではないか、という気もする。最初のうちは「発症予防」で、2回うてば「かからない」という印象をうけたが、いざ実施してみると「重症化予防」で、定期的な摂取が必要、となった。また、ワクチン接種後に亡くなった人もいて、国の調査でワクチンとの因果関係「否定できない」と判断された事例もある。

※死亡した事例は2000件以上報告され、因果関係「否定できない」は2例。
2023年7月28日NHKニュースhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20230728/k10014145771000.html

極端な陰謀論にはせずに、しかし科学的な事象として、ワクチンの問題点を検証することは必須だと思うのだが、そのような議論を進められるのだろうかという不安がある。特に、ワクチン政策を進めた政治・医療の現場で、「この言い方は適切だったか?」と振り返ることは、できるのだろうか。陰謀論(絶対危険)とワクチン推奨(絶対安全)の二択に収斂していなかったか…。

本書に戻ろう。陰謀論はコロナ禍が原因ではない。なぜなら、それ以前にもそれ以後にもあるから。アメリカ大統領選の選挙不正、ウクライナ侵攻でも、陰謀論は出てくる。別々の人が別々の陰謀論を唱えることもあるが、同じ人が別の陰謀論に次から次に飛び移ることもある。後者の場合、陰謀論とは個人の問題以上に。社会の構造と関わっていると言えるだろう。


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