異様もまた多様なのか?ーー円堂都司昭『物語考 異様な者とのキス』(作品社)

筆者が「異様な者」と呼ぶのは、異類、極度に醜い者、特殊能力を持っている者などで、その特殊(異様さ)ゆえに周縁に追いやられている。他方、古今東西の物語は、異様な者との交流、もっといえば恋愛や結婚が執拗に描かれる。本書で筆者がとりあげるのは6つの物語類型、すなわち『美女と野獣』『ノートルダム・ド・パリ』『オペラ座の怪人』『ウンディーネ』『雪の女王』『エリザベート』だ。類型は6つだが、『美女の野獣』にはいくつものバリエーションがあるし、『ウンディーネ』は『人魚姫』に、『雪の女王』は『アナと雪の女王』といったように、よりポピュラーなものもある。これらは、ミュージカルという芸術形式(表現メディア)でのアダプテーションがあるものでもあり、物語的日常に歌と踊りという非日常が侵入してくる「異様さ」を、「異様な者」を表象するひとつの原理だと、筆者は考えている。

タイトルは『物語考』なのだ。6つの物語類型が、多様なバリエーション/アダプテーションと比較しながら論じられていくわけだが、すると見えてくるのはこれら物語の普遍性である。また、それと同時に、時代時代の特徴、すなわち歴史性も照射される。なにより興味深く感じたのは、多様性や反ルッキズムが道徳規範となったいま、「異様な者」の「異様さ」をどう表象すれば良いのか、難問となっている点だ。ディズニーに顕著だが、制作サイドでポリティカル・コレクトネスへの配慮がある場合、かつてであれば人種、障害、病気のメタファーであったであろう美醜を、現代でもそのまま反復することは、難しい。本書は、物語類型の普遍性と個別具体的な表象の歴史性を、浮かび上がらせる。現代的(ポストモダン的?)多様性に「異様な者」を含めることができるのか? 異様もまた多様なのか? と繰り返し本書は問う。そして、この問いには明確な答えがない。あるのは表象=物語だけだ。だからこそ、丹念に物語のバリエーションをたどる本書に意義がある。

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