「自分らしく生きる」社会の不自由さ――橘玲『世界はなぜ地獄になるのか』(小学館新書)
世界はなぜ地獄になるのか? への筆者の答えは「社会がリベラル化しているから」となる。「リベラル? バックラッシュで保守化しているのでは?」という反論もあるかもしれないが、筆者のいう「リベラル化」とは「自分の好きなように生きること」であり、現代では、例えば保守かリベラルかを「選べる」ので「保守という生き方」「リバータリアンという生き方」も、広く言えば「リベラル」なのだ。
ではなぜリベラル化する社会が地獄なのか? 自由に振る舞えることで、個人の持っている能力が最大に発揮されるため格差が拡大する。集団・共同体のまとまりが緩くなるので、社会は複雑化する。さらに、人は孤独になり、自分らしさ(アイデンティティ)はあちこちで衝突する。リベラル化がもたらした地獄は、リベラルな思想では解決できない。急進的な左派の「社会正義」を求める運動が、右翼的な陰謀論と似通っていくのは、論理的な必然ですらあると筆者は言う。
本書は海外、特にアメリカのリベラルな大学での「社会正義」を求める運動も紹介されているが、日本の事例の事例として小山田圭吾と会田誠の「キャンセル」について説明している。私が読んで面白いと思ったのは4章の「評判格差社会のステイタスゲーム」だ。
人間は評判を気にする生き物である。旧石器時代の人間は小規模な集団(せいぜい150人程度)で暮らしていて、共同体内部での評判を大事にしていた。集団が生き残るために貢献するものは評判が良いし、その逆をするものは評判が悪くなる。評判が悪い人は、制裁(共同体からの排除)を受ける。評判が上がったり下がったりすると、物理的な報酬をもらたったり身体的な暴力を受けたりするのと同様の影響が脳に与えられる。ストレスで人間は死んでしまうのだ。人間の脳には評判の上下と連動した自己肯定感・自尊心を感じるソシオメーターが(進化論的に)埋め込まれている。
評判を上げるには「成功」「支配」「美徳」が関係する。顕示的消費は「成功」だし、権力を使う「支配」もある。美徳は共同体道徳と関係しているが、一番コスパの良い手段は「不道徳なものを罰する」ことだ。自尊感情の低いものは、所属する集団(や特定の個人)にアイデンティティ融合、すなわち同一化して自尊心を上昇させつつ、他方で「道徳警察」として不道徳なものを取り締まることで、相対的に自分の美徳(評判)をあげる。ネットでインフルエンサーをフォローしつつ「自警団」として炎上しているものにオンラインでの攻撃を続けるのは、評判格差社会という観点からすると、「合理的なふるまい」として理解されてしまう(だから「世界は地獄」なのだ)。
ステイタスゲームに攻略法はない、と筆者は言う。自己肯定感や自尊心は、相対的なもので、場所が変われば変化する。そこで、評判の低いものは高いステイタスを得られる下方集団へ移動するか、あるいは現在の場所でステイタスを高める努力をするか、どちらかになる。が、どちらが正しいとも言い切れない。(だから「世界は地獄」なのだ…。)
なるほどと思ったのは、マジョリティ(構造的強者)とマイノリティ(構造的弱者)で、集団(属性)へのアイデンティティ融合(同一化)が一様ではないこと。マジョリティでの自尊心が低いものは属性へのアイデンティティ融合をする傾向にあるが、他方、マイノリティでは自尊心が高いものがアイデンティティ融合をする傾向にある。2023年の本なので筆者は2024年のアメリカ大統領選には言及をしていないが、トランプを白人男性(自尊心が低い、白人というアイデンティティに融合する)だけではなく、黒人男性(自尊心が低い、黒人というアイデンティティに融合しない)も支持したのは、こういうねじれが背景にあるのだろうと思った。
人種もジェンダーも、構造的な差別はあるのだろうか? ないのだろうか? 「ある」という時に、構造が表出した具体・個別・数値・法的なものについては是正が可能だし、是正していくべきなのだろう。構造が不可視化され、無意識に追いやられた差別については、果たしてどうして行くべきなのかが問われている。批判的人種理論(Critical Race Theory)も紹介されているが、提唱者の一人、ディアンジェロは、白人は「生まれる前から」レイシストだ、とさえ言う。この姿勢を、筆者は「白さという原罪」と表現する。キリスト教の思想と通じる。荒木優太も『サークル有害論』で「終わりなきマイクロアグレッション」と呼んでいたが、「構造化された差別」をどこにでも発見することは(少なくとも理論的には)可能である(…という言い方を私ができてしまうことも、私の「特権」であると言われてしまいそうだが…。)たぶん「構造化された差別」という時の「構造化」がどこに・どうなっている状態を指すのかが、問題(の原因)なのだ。筆者が繰り返し指摘するのは、「目に見える暴力」が減少してきた先に、「心理的な暴力」が前景化されるということだが、「構造化」も目に見えやすい構造と、そうではない構造があり、事態は複雑である。
筆者は、現代社会の豊かさをユートピアとするが、そのユートピアにはディストピア(地獄)が重なっているともいう。「天国(ユートピア)と地獄(ディストピア)が一体のものであるなら、この「ユーディストピア」から抜け出す方途があるはずがない。できるのはただ、この世界の仕組みを正しく理解し、うまく適応することだけだろう。」 ううむ…。
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