インターネットの「外」

図書館が好きだ。週に1回は足を運ぶ。借りた本を返しに行けば、しぜん、また本を借りるわけで、そうするとまた行く理由ができる。図書館にいってもそこまで長居をするわけではなく、ぶらぶらと1時間、書棚のあいだを歩いたり、手に取った本をソファに座って読んだりして、時間をつぶす。

図書館の良いところは、本がたくさんあるところだが(もちろん)、インターネットにつながっていないことではないか、と思う。たくさんの本が図書館にあるが、図書館には図書館にある本しかない。探しているものが必ず見つかるわけでも、リンクを踏んでインターネットの無限の海に出ているけるわけでもない。図書館には図書館にある本しかない、というのは実は重要なのではないか。

読みたい本を読む。「ある本を読みたい」という欲望が先にあり、その後に、実際にその本を手に取る。そういう順番が「自然」なのだろう。そういうこともある。でも、どうだろう。目の前にある、偶然、手に取った本が、じつは本当に読みたいものだった、なんてこともあるのではないか。

話は少し変わる。私が中学生の頃、Windows95が発売され、高校生の頃、Windows98のパソコンでインターネットを始めた(たしか)。夜な夜な、クラスメイトたちとチャットをしていただけで、今でいうLINEのトークルームだったわけだが、今でいうLINEとはぜんぜん意味が違った。(パソコン通信をやっていた人にとっては珍しくなかったかもしれないが)圧倒的多数の人にとっては、リアルタイムでテキストメッセージを複数人でやりとりできるなんていうサービスは初めてだったし、とても楽しかった。チャット以外では、ただネットをサーフィンしていた。シンプルな世界だった。音声はmidiで、画像の解像度は荒く、動画はないのでテキストサイトの更新を楽しみに、ブックマークを順繰りに回っていたが、うっかりブックマークを削除しようものなら、そのサイトを再訪できないこともあった。ウェブサイト(というかホームページ)にはリンク集があり、そのリンクを飛び石のようにいくつか飛んでいけば、「あたらしい世界」にたどり着ける、ような気がしていた。

SFには「夏への扉」を探し回る有名な猫がいる。昔のインターネットは、限定的であるがゆえに、自分の住んでいる世界の「外」を垣間見れた。今のインターネットは逆である。世界中を覆い尽くしたので、「外」はもうどこにもない。

図書館で本を読むことは、Kindle Unlimitedで本を読むことと、違う。制限された環境だからこそ、「外」へ行ける。無制限( Unlimited)だからこそ、「外」はどこにもない。インターネットに面白いものはないんだ、と(自分にいいながら)図書館で本を読む。(しかし、こうしてインターネットに文章を書いている自分もいる。このパラドックスは解消できるのだろうか?)

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