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大学4年間。

こんにちは、えびです。

3/25に大学を卒業しました。
長いようで本当に短かった大学4年間を、ちょっぴり振り返ろうと思います。

入学した年にコロナ禍に入り、半年ほどは大学に立ち入ることすらできませんでした。
なにも勝手がわからないまま授業は進み実習の課題が出る日々は、真っ暗な夜道を延々と歩かされているようでした。

『みんなうまいなぁ、なんで私は入学できたんだろう』
どんな人間なのかわからない人たちの絵を見ては毎日不安になっていました。

このnoteを始めたのもこの頃でしょうか。大学のレポート対策の一つでした。
あまり文章を書くことが得意じゃないので、少しでも自分の考えを言葉にする練習をしたいと思ったからです。それが今も続いていることはなんだかうれしいです。

また自粛期間中、お笑いとハロプロに興味を持ちたくさん救われました。
笑うことって生きていく上で大切なんだなぁと感じました。

そんな中、チームスに投稿された課題の絵にひとめぼれしました。いいなと思った気持ちを伝えたくてその人にチャットを送ってみることにしました。
私は自分の気持ちを伝えることが苦手です。でも勇気を出して送りました。その第一歩は、この4年間の中でもおおきな出来事でした。

後期になるとやっと大学に入ることができました。授業のあとその方と初めて会い、別のコースではありますが今でもお話する仲です。

そして実習も対面になりました。けれど最初はみんなが怖くて仕方ありませんでした。

対面になって一番初めの課題が『樹木を描く』だったのですが、みんなが真剣にデッサンしている様子を見て私は萎縮しました。
真正面からは戦えそうもない!(戦う必要ないのに、敵だと思っていた)
そう思った私はアクリルで抽象的な樹木(というか苔)を描きました。時々不安になりながらもたのしく描けました。
多分ここで自分を押し込めてデッサンしてたら、今の自分はいない気がします。

色がすきです

このあともいろんな課題がありました。
ランプシェードとかくるくる回してアニメーションみたいなやつとか、納得いかず不燃焼の作品もありました。(思い出すのもかなしい)

でも講評のあとからみんなと少しずつ距離が縮まった気がします。
マシュマロの回答でも書いたのですが、デザインコースの教室で一番最初に話しかけたのは眼鏡の人でした。
きっかけはハサミを貸してもらうためだったのですが、その人と馬が合いだいぶ仲良くなりました。たくさんカラオケに行く仲です。
そんな出会いもあり、少し安心した1年生でした。


2年生になると、学生相談室に行き始めました。周りのみんなが敵に見えて大学に行くことが怖くなったのですが、担当の先生に相談したのち行くことにしました。
カウンセリングで自分の感情を言葉にする習慣がつき、それは今でも続いています。ぐちゃぐちゃになりそうな時も、一度文章にしてみることで頭の中が整理されます。その経験は卒業制作にも活きている気がします。

デザインコースにはいくつかの領域があり、2年の前期はその中から色々選べる形になっていました。なのでイラストだけではなく、粘土を触ったり写真を撮ったりしました。
後期は正式にイラストレーション領域に進み、夏休みにはZINEを制作しました。
大変だったけれどとても愛着の湧く一冊になりました。

とある授業で豊島に行ったり、オリジナルの妖怪を作ったり(アナゴヤン)、街歩きをしたり…同級生の子ともだんだん話せるようになりました。
対面で会い、お話しすることで彼女たちは完璧なロボットなんかじゃなくもっと人間らしいところがあって、そこが良いところなのだと知れるのです。だから私も完璧じゃなくても大丈夫なんだと安心しました。

この頃に『今日の文字』を開始しました。当時は“一日一字“として投稿していたような気がします。
きっかけはフォントの授業でした。こんな魅力的な仕事があるんだ!私もやってみたい!という単純な動機でしたが、今も続けられているのは飽き性の私にしてはすごいことだと思います。

2年生の時はサークルにも入っていました。(同級生がいなかったのと夜遅いのが理由で、途中でぬるっと抜けましたが…)
ラテン楽器の演奏をするサークルなのですが、私は楽譜も読めないし楽器の演奏は小学校以来したことがありません。
それでも入ろうとしたのは、何か新しいことがしてみたいという好奇心からでした。あと軽音部より怖くなさそうだったから…
2年からは行事も少しずつ開催されて、様々な舞台を経験することができました。
人前に立って演奏するなんて、恥ずかしがりの自分からしたらなかなか大きな出来事でした。でもこんなにドキドキすることはこの先訪れないかもしれませんし、とてもいい思い出です。


3年生になると外での活動が段々と活発になりました。
お笑いやハロプロ(ファンクラブにも入会)のライブに足を運んだり、地元で個展を開催したり、初めて一人で飛行機に乗ったり、古美術研修旅行に行ったり……
入学して2年間はなかなか身動きが取れない状態が続いたので、一気に解放された感じです。

古美研では一週間以上慣れない土地で、しかも友人といえども他人と過ごすことの難しさを知りました。疲れがピークに達して、あまり良くない接し方をしたことを反省しています……一人の時間って大切なんだな。
すごく楽しかったけれど、同じくらい後悔もした古美術研修旅行でした。

Skebを受け始めたのもこの頃でしょうか。
もちもちの女の子を描いたことがきっかけで、自分のやりたいことが見えました。かわいい女の子を描くことで自分も幸せだし、見る人も幸せになったらいいなと思いながら描いています。
こちらも今でも続いているのでうれしい!


そしてもう4年生。

いろんなことがありました。初めて東京で個展をしたり、大好きな喫茶店で展示させてもらったり、新しく人と出会ったり、別れたり。

くるくると展開する日々は忙しくも充実しており、うれしかったです。
『それはあなたが動いたおかげだよ』とカウンセリングの先生が言ってくださったことを覚えています。

就活をするみんなにじりじりと焼かれて、一瞬頑張ってみましたがどうもしっくりきませんでした。その時期はとても苦しかったけれど、たくさん人に相談して少し答えが出せました。

広島の『赤い屋根』という喫茶店に訪れたことも大切な思い出です。
村下孝蔵さんがここで過ごしていたんだと考えると、心がじんとしました。

初めて海にも行きました。入りはしなかったけれど、触れることができてうれしかったです。岩場でぼーっとする時間、心地よかったなぁ。

卒制やそれ以外のことで悩む時間も長くて、なかなか筆が進まない日もありました。でもそのおかげで生み出せたものや出会えた感情もあります。
(卒制のことは以前に綴ったのでこちらでは割愛させていただきますね。)


振り返ってみて思ったこと。本当に時が過ぎるのが早すぎて、きっとこの先もどんどん歳を重ねるような気がしました。
だからこそめいっぱい生きたい。やりたいことに全力で向き合いたいです。
チャンスはできる限り掴んでいきたいし、うまくいかないときもそれが未来の糧になると信じて歩き続けたいです。
簡単には生活できないと思うけれど、自分のしたいことをして、行きたいところに行って、食べたいもの食べて踏ん張りたいです。

この4年間で出会った皆様に感謝ばかりです。
大学のみんなはやさしくて、かわいくて面白いお姉さんたちに囲まれた生活がとても楽しかったです。
この先もまた遊んだり、仕事で関わることができたらいいなぁ。

先生方にも恵まれました。私が悩んだ時には寄り添ってくださって、作品に対しても私以上に真剣に向き合ってくださいました。
この大学に入学するきっかけとなったのはオープンキャンパスでの相談会でした。小さな作品集を見せたとき、推薦入試はどう?と進めてくださったのです。
きっと一般入試だったら合格できていませんでした。基礎的なものがないし、学力もあまりないし…試験というよりも、私の作品を見て選んでくださったのだと思うとなんだかすごくうれしいことです。

悩んだときや生活の面では家族に頼りっぱなしでした。
両親や祖父母がいたおかげで、夏休みや冬休みは安心して帰省することができました。

なぜ私が入学できたのかわからなくて、この大学での存在意義もわからなくなったときもありました。
でも私、ちゃんと卒業できたよ。何度も心がぐちゃぐちゃになったけれど、ここまでよく頑張りました。ありがとう。

これからはどんなことをするのかな。きっとなんでもできるはず。
だから諦めずに、全力で、時には立ち止まってやり切りたいです。
他人に勝とうとするんじゃなくて、自分に克ちたいです。
自分で道を選んでいけるように。第一歩はいつも怖いけれど、こんな出会いもあるのです。だからきっと、大丈夫。

それでは、またあした。


だいすきな散歩道。
買い出しの時によく通っていたよ。



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