言葉にできない、できる。
我が子たちは小学校高学年。
思春期に片足を突っ込んでおり、いろいろなことを思ったり、考えたりするようになってきました。
大人になりかけてて、ちょっとした言葉のやりとりや行動からとても成長を感じます。
ですが、小さい頃から困ったことがあると「泣いてなんとかしよう(察してもらおう)」という面があります。
学校での様子は分からないので、お友だちや先生に対してそういう行動をしているか謎ですが、家族に対して(特に私や旦那さま)泣いたり、騒いだりして察してもらおうとします。
もちろん小さい頃はまだ言語での伝達が難しいため、親が代弁したり、気持ちを汲み取ったりすることはたくさんありました。
ですが、もう小学校高学年。
中学生がうっすら視野に入ってくるこの年齢に「泣いて察してもらう」というのは如何なものか。
ということで、自分の伝えたいことや思いを「言語化する」大切さを教えている最中です。
やろうと思ってもすぐには出来ないのが言語化。こればかりは日頃の訓練が必要だと思っています。
同じ意味を伝えるにしても、どの言葉をチョイスするか、どんなトーンで伝えるのか、その選択は個人的にけっこう大事だと思っていて。
時には言葉のチョイスを間違えて相手を怒らせてしまうこともあるかもしれない。
逆に会話を通じて今まで知らなかった一面を知り、もっと深く分かりあえるかもしれない。
相手と意見が違ったらそれを否定するのではなく、相手の話も聞き、対話する力が必要かな…って思います。
それで相手との違いを理解して分かり合えたら万歳だし、分かり合えなかったらそっと距離を置けばいい。
もちろん私自身がそれをできているかと問われたら、たぶんできていない部分が多いと思います。私は短気な性格なので、ブチ切れがちです笑。
それでも「言葉で伝える」「気持ちや思いといった目には見えないものを言語化する」という点については小さい頃からやっていた気がします。
そんな幼少期の背景はまたあとでお話できる機会があれば…とか思ったりね。
旦那さまも普段はチャランポランですが、割と話し込むタイプなので1つのテーマで夫婦がずっと話しているとか日常茶飯事です。
傍から見たら面倒な夫婦に見えるかもしれませんが、話さなきゃ分からないことってたくさんあります。
全部、洗いざらい話す必要はないと思うけど、話すことで気持ちが整理されたり、新たな視点で物事が見られるようになったりするのは事実。
エスパーではないので「気持ちを察してくれ」は非常に難しいのです。
そんなわけで、少しずつ自分の気持ちや思いを言語化していくことの大切さを子どもたちにも伝えていけたら…と思っています。
我が子たち、気付くと部屋の隅やコタツの中でシクシク泣いてるんだもん…。言ってくれなきゃ分からんよ、って話です。
部屋の隅で哀愁漂う後姿は可愛いんだけどね笑。