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⑤47歳、母、入院
母は私が中学校にあがると
ますます調子が悪くなっていった
顔色も悪く一日中横になり
オムツを履いて過ごしていた
当時はなんでオムツ?と不思議に思っていたが母もなんとなく隠していたので深く聞くことはなかった。
のちに腎臓だったか直接管を通して外の袋に排出していたのでもう入院前から膀胱かなんらかの機能に問題があったんだと思う
13歳の私の誕生日
ほっかほっか亭のお弁当
市販のケーキ
プレゼントは100円ショップのぬいぐるみだった
料理上手だった母
いつも誕生日やクリスマス、
晴れの日には腕によりをかけて
私の好きなものを作ってくれた
母はこんなんしかできなくてごめんねと謝っていたけど、私はお祝いしてもらえたことだけで嬉しかった思い出がある 特に不満はなかった
もうこの時にはそうとう体調が悪かったんだと後から考えて改めてそう思った
6月1日、仲の良かったママ友(以下おばちゃん)が母の様子をさすがにおかしいと思い、病院に行きたがらない母を説得し市民病院へ
そのまますぐ入院になった、中学校から帰ってきたら玄関に張り紙があり、そのおばちゃんの家に行くと母が入院したとのこと
その足でおばちゃんと一緒に病院に会いに行った
病院のベットにいた母は笑顔で元気そうに見えた
でもそのおばちゃんからは、病院についたらすぐ手術になり、あと1日でも病院に行くのが遅れていたら死んでたと先生が言っていた、と言われた。
この日から母は色々な検査、治療のため入院
私は一人暮らしが始まった
とはいえ、まだ中学1年生
全部が一人でできるわけもなく、、
朝、自分で起きて学校に行く準備、身支度
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おばちゃんちにお弁当を取りに行き学校に
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登校し、授業&放課後は部活に参加🏐
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誰もいない家に帰り病院にお見舞いに(会いに)行く準備をし自転車でまずはおばちゃんちに
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おばちゃんちに行き、お弁当箱を洗い置いておく、お風呂を借りて入る
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また自転車にのり病院に10分位で到着
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母の病院食をつまんだり、売店で買ったりして晩ごはんを済ます ちょうどおじゃる丸がやってていつも見てたな〜
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面会時間終了の20時ギリギリまで病室で宿題をしたり談笑をしたりして過ごす
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また自転車で10分ちょい、1人で誰もいない家に帰る
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洗濯して干して明日の準備をして、寝る
寂しかったからよくラジオをつけっぱなしで寝ていた
テレビはつけっぱなしにすると夜中?明け方?にピーってなるのが怖かったんだよなー
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また朝起きて、おばちゃんちにお弁当もらいに行って学校、部活、病院の繰り返し
毎日、毎日、雨の日は傘をさして
周りの人に助けてもらいながらなんとか生活していた
そして、しばらくたった6月半ば、
母は大学病院に転院することになった
家からその大学病院までは子どもだと自転車で40、50分はかかる
特殊でハードな生活はまだまだ続いていく
様々な事が悪化しながらまだ続く、、
私、13歳、まだまだ子ども、、
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