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22歳大学生、1月を振り返る
早いもので1月もおしまい。ざっくりと振り返る。
年始から多くの目標を掲げた。宣言することで逃げ場を無くした形だ。Noteを毎日投稿するのは達成できたし、英会話も毎日やった、この記事も英語を聞きながら書いている。
これらは最低限だ。約束守ったぞ、エッヘン!と言うほどでもない。
ここで改めて考えたい。壮大になっただけで結局は手段に逃げていないだろうか。目的は豊かな人生を生きること、それに次ぐ大きな目的は日本や世界へと自分の持つものを還元すること。
上記のやることも手段に過ぎないし、目標から遠ざかっているとは言えないが最適な道を歩んでいるかどうかは疑わしい。かといってやめるというわけではない。
自分に問い直したいのは「目的に対して、真正面から向き合っているか」「弱さ、脆さを隠すために手段に逃げていないか」
次の記事で書こうとしたのだが、ここで書いてしまおう。ネタ切れ上等だ。
例えば、Noteも自分の考えを伝える練習として書いている。
しかし、なぜ練習するか、なぜ伝えたいのかを忘れて毎日投稿するのは本末転倒。1人でも多くの人の心を動かすつもりで毎日執筆できていたかと言われると胸を張ってYESとは言えない。
英語学習もそう、目の前の自分との約束や皆さんに宣言したから守るものというものにとらわれて本来の目的である世界で働くための戦闘力、世界に伝えるための発信力向上としてやれていただろうか。
やっている(やっていない)自分、約束を守っている(守っていない)自分といういわば「人としての在り方」に逃げて、本当に自分が向き合わなければいけないものと向き合っていないのではないか。そういう自分を見せようとすることで、自分の弱い部分を隠そうとしているのではないか。日々、私の力不足をつくづく感じる。
爆発的な成長のきっかけとなるその瞬間まで、辛抱強く自分の弱点、一番恥ずかしいところ、脆い部分と向き合うしかない。
勝負弱い自分と決別するためのTOEICの目標、話せない自分を脱却するための英会話、今日1日を最高のものにするのはもちろんだが人生を豊かにするというもっと大きなスケールで生きていきたいと思う。
おそらくこれができれば、英会話にも運動にも食事にも、いや寝ても覚めても自分の人生に熱くなって、豊かなものになる気がする。
自分で「自分の人生に熱中する・青春する」ことから逃げていたかもしれない。我を忘れて人生に熱中する瞬間を来月は増やしていきたい。
そのヒントになりそうなのはやはり人との出会い。今月も刺激をたくさんいただいた。来月もそんな予定がたくさん入っている。新しい人と会うようなつもりで日々気持ちを新たに、刺激を感じにパソコンに、紙に、スマホに、ダンベルに向き合いたい。
3月1日のTOEICで900以上を取る。2月はそこに熱中する月に。自分から逃げない。
いろいろ書いたけど、たくさんの出会いのおかげで素晴らしい月だった。感謝。
では。