私はなんで書きたいのか?
しばらく筆が止まっていた。日々の忙しさにかまけて、noteの更新を習慣化するという試みが、何日間か続いた後に、途絶えていた。大変凡人、普通過ぎる人間、それが私である。
しかし、やっぱり何か、文章で自分を表現したいという気持ち、書き物を世に送り出して読まれたいという気持ち、あわよくばいつの日か物書きで食べていけるようになったりしないかなという邪さ、そういう真面目と不真面目が入り混じった複雑な気持ちによって、私は今、名を新たに、アイコンを新たに、もう一度noteを開いているのである。
私は考え事をするタイプだ。とても、とても考え事をする。100人集めたら、その中では誰よりも考え事をしている自信がある。
同時に、インプットが大好きだ。ほとんど異常なほどに好きだ。朝は薄味のオートミールをちまちま掬いながらニュースを聞き、通勤時はお気に入りのPod Cast(教養系)を聞きながら会社へいく。ランチから帰ると午後の業務開始までの20分はKindleを開くし、帰ってから夕飯はYouTube(教養系)をおかずにいただく。寝る前にも1時間ぐらい読書する。
考え事をするために知識が欲しくなり、知識を得ると新たな考え事が浮かぶ。この2年間はそんなことを繰り返していて、この繰り返しの先に一体何があるのか、自分はどうなってしまうのか、見当もつかない。
考え事もインプットも、自分の内側に向かってくるもので、終着点が常に自分の中にある活動である。今の私に必要な行動、それは何かしら自分の外側に向かって放たれるような活動=アウトプットなのだ。
今の私は、貯めこみすぎたものを外へ向かって押し出さなければならない差し迫った危機の状態にあるのかもしれない。自分の内側にあるダムが溢れんばかりに水を蓄えていて、いい加減放水しなければ壊れてしまうような、そんな状態?
何かを書きたい理由が分かったところで、何を書きたいのか。これは依然として分からない。何かを書きたいし、あわよくば物書きになりたいという思いはずっとある。小学生か中学生か忘れたけど、それぐらい昔からぼんやりと抱いている。
そして今、noteという大変ナイスなツールを手にした今、肝心の「何を書きたいのか」だけが分からない。これさえ定まれば、私は作家としてのキャリアを駆け上がることができるはずなのに…。
寝言はさておき、とにかく、折角筆を取り直したのだから、書きたい「何か」の片鱗だけでも掴めないか、と思っている。
次回は、「何を書きたいのか」を書きながら考える記事がリリースされるかもしれないし、謎のエッセイが投げ込まれるかもしれないが、もしこんなフラフラなnoteがあってもいいと思っていただけるのであれば、どうか見守っていただきたい。
以上
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