
自慢すると嫌われる日本、仕事が来る中国
最近、マウンティングに関する書籍をよく読んでいる。
『人生が整うマウンティング大全』『マウント消費の経済学』など、とても面白いテーマだったので、所感をまとめてみる。
マウンティングとは、「自分の優位性を誇示する行為」だ。当然、自慢もその一つに含まれるだろう。
しかし、昨今の日本では、露骨なマウンティングではなく、さりげなく優位性を伝えるスタイルが主流になっている。書籍で紹介されていた例をいくつか挙げる。
たとえば、「グローバルマウント」。これは、海外の写真とともに、
「ヨーロッパ渡航は毎回時差ボケで死にそうです」
「フランスで毎回お世話になっているレストランがなくなって途方に暮れています」
「ニューヨークの物価の高さには驚かされることばかりです」
といったコメントを添える手法だ。
「日本でしこたま稼いだから海外でバカンスを楽しんでいます!」と直接的に言うのではなく、こうした表現を使うことで、あくまで自然に、それとなく優位性を伝えている。ときには自虐を交えることで、過度に目立つことを防ぐ工夫もされている。
なぜ日本では「さりげなさ」が重要なのか?
日本において、あまりに露骨なマウンティングは嫌われる。目立ちすぎること自体が敬遠されるため、多くの人が「分かる人には分かる」形でマウンティングを試行錯誤しているのだ。
振り返ってみると、実は私もマウンティング好きな人間だった。
書籍の中で「残念なマウンティング方法」として紹介されていた「前職マウント」(=安定した職を手放して独立しました! 男気があるだろ!)をしていたこともあるほどだ。
過去、私はSNSでさまざまなマウンティングをしていた。その結果、日本では多くの人に煙たがられた(おそらく嫌われた)。しかし、中国ではまったく違う反応が返ってきた。
中国におけるマウンティングの価値
中国でも、あまりに直接的すぎるマウンティングは敬遠されるが、日本よりも寛容度が高いと感じる。さらに、「仕事ができるアピール」をすると、むしろ高評価を受け、実際に依頼や問い合わせが来ることも多い。
なぜこうした違いが生まれるのか?
そもそも日本でマウンティングが嫌われる理由は、島国気質にあると考える。
島国では、大陸に比べて資源や人の往来が限られるため、周囲と協調しながら生きる必要がある。そのため、過度な優位性のアピールや目立つ行為は敬遠されがちだ。なぜなら、限られたコミュニティの中で羨望(ストレス)を生みやすく、共存のバランスを崩しかねないからである。
一方、中国は大陸である。人の往来が激しく、資源も人材も豊かだ。そのような環境では、マウンティングは「実績のアピール」として機能する。中国の人々にとって重要なのは、アピールそのものではなく、「それによって何を得たいのか?」である。
たとえば、仕事の実績を堂々と語ると、「一緒にやりたい!」「投資しませんか?」と、スピード感を持って具体的な話が舞い込んでくる。
そのため、中国では多少盛ったマウンティングも許容されることが多い。最終的にその人が本当にできるかどうかは、結果が証明するものだからだ。
これは、『スッキリ中国論』の著者が述べている「スジの日本、量の中国」という考え方に通じるものがあると感じる。まだ読んでいる途中だが。。。
まとめ
日本で自慢すると嫌われる理由
→ 日本は島国という閉鎖的な環境で、目立つ行為が周囲にプレッシャーを与えやすいから。そのため、自虐やさりげなさを織り交ぜ、マウンティングをカモフラージュする必要がある。
中国で自慢すると仕事につながる理由
→ 中国では自慢が実績として認識され、「実際に任せてみよう」となることが多い。もちろん、過剰に盛ると信用を失うが、結果を出せば問題にならない。
みなさんはどう思いますか?感想を教えてください!