destiny2における障害者の意識問題
最近ナーフを繰り返して傑作だったdestiny2に泥を塗り続けプレイヤーを減らしているdestiny2運営から、「プレイヤーにも自分と同じくらい不自由になってほしい!」みたいな自然派ママにも似た狂気を孕む善意を感じて、
公式トレーラーを見に行くと
あのさあ
障害者は一般人のことを自分と同じ人間であるべき者として見てはいけない
まず第一に平等なんかではなく、次にどちらが劣っているでもない。
別の生き物として見た方が良い。
平等で自分たちと同じであるべきとか、障害がある分プラスに捉えよう!とか、これだけの障害を抱えて生きている自分は偉い!とか考えてはいけない。
そんなこと考えてるから、善意で「相手にも同じ経験をしてもらおう」とか、悪意で「アイツらの地位をよこせ!」とか言ってしまうのである。
ゲームだってクソほどナーフするし、プレイヤーが四苦八苦しているのを見て「自分は彼らの成長を手助けした!」なんてアホな事を考えてしまう。
だから、大前提として別の生き物であるべきだ。
別の生き物として仲良くしよう
例えば馬である。
馬に人が脚力で追いつける事は無いが、人間は馬と仲良くできている。
なぜか?
人と馬は自分に何ができて相手に何ができないかを見分けられているからである。
人は馬に追いつけるほどの脚力が無いから、馬にニンジンを与えて早く走ってもらう。かわいがることも褒めることもある。
馬も人が好きである。馬の背が高くて乗れない!って時にしゃがんでくれたりもする。やさしい
障害者でありながらゲーム製作者であるお前たちは、一般人の受容する楽しみがわからないから、楽しみの分かる一般人に楽しんでもらうコンテンツを研究して供給すればいい。人間から離れている分人間を俯瞰しやすいはずだ。
反対に、一般人はお前たちが作るゲームを楽しむし、金も落とす。お前たちの事も好きになってくれる。
おわりに
障害者とは欠損品である。欠損品の人生を健常者は誰一人として味わいたがらないだろう。
道徳や宗教はそれを許さないが、現実としてそうだ。
彼らは君たちを救う為に「辛い中耐えて偉いよ」、「人と違う人生を歩めるのは素晴らしい」とか言ってくれる。俺はどちらも優しくて温かい嘘だと思うし、それを聞いて元気が出るのはいい事だと思う。
でも真に受けてはいけない。
彼らとは別の生き物なのだから、彼らの喜ぶ方法で彼らを報わなければいけない。
destiny2の開発はそれを真に受けたからプレイヤーを不自由な方向に持っていくことをやめないのだろう。
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