走りながら、食べる
食の仕事をしているのは、なんというか、成り行きである。いかにして今日に至ったのか、という話はダラダラ長いのでここでは割愛するけれど、少なくとも、ここを目指して来て、その結果、今日ここにいるわけじゃない。
料理が好きか?食べることは好きか?最近、わからなくなっている。それ、たぶん良くないことの気がしている。だから今、これを書き始めた。私に何が起きているのか、考えてみようと思った。
毎日、走りながら、食べている。遅刻しそうになって、トーストをくわえながら学校に向かっているという意味ではなく、常にタスクを動かしながら食べているという意味だ。ゆっくり座って、食事を見て楽しみ、香りを楽しみ、温かさを感じながら、あるいはひんやりを楽しんで、巡る季節に思いを馳せながら「美味しいな」と‥正直、そういう食事をずっとできていない。
少なくとも、この1週間、この1ヶ月にそういう日がなかった。気持ちが、ずっと忙しい。それがたぶん、私に起きている良くない現象の正体だ。
息子が友達の誕生日に何か作りたいと言う。いつもより1時間早く起きて、一緒にドーナツを作る。昨日作っておいた生地を冷蔵庫から出す。息子は丁寧にチョコレートを刻む。伸ばした生地の端を繋ぎ、輪にして見せると、それも真似た。「でも、型で抜くっていう方法もあるよね。バムとケロは型を使ってた」彼はけっこう器用な方だなと思う。
フルタイムで働いているわけでもないし、子どもだって、もう赤ちゃんじゃない。なぜなぜ私はこんなに忙しくなってしまうのだろうか?
自分の1週間を振り返ってみると、圧倒的に子どもの「あれやりたい、これやりたい」に付き合っている時間が多い。そして、つい自分も夢中になってしまっている。それが問題なのだと思う。
息子のためにカブトムシを飼って「それってもうブリーダーじゃん!」と言われるレベルで繁殖させなくてもよかったと思うし、娘と一緒に夜な夜な硬くて小さい山栗の皮剥きを手伝わなくてもよかったのかもしれない。
山栗を入れた餅を作りたいと言う娘のために、一緒にレシピを考え、試作をし、栗が足りなくなると拾いに行った。今年は栗が豊作だったように思う。コロンコロンとかわいい山栗。娘に付き合うつもりで行っただけなのに、結局、私は張りきって栗を拾っていた‥
ドーナツが揚がると、お弁当作りの時間はだいぶ押していた。まだ娘は起きていない。私はドーナツ作りで溶かしたチョコレートの残りをとりあえず食パンの上に移し、ボウルをシンクに投げ込んで、紅茶を飲むために沸かしたお湯の残りを流し込む。
そうしてチョコレートを塗ったパンを2つに畳んだ。それから、あ、と思ってパンを開いてシナモンをかける。チョコとシナモン。次に売りたい商品のアイデアが浮かんだそ。よし。よしよし。
そうして「後で食べよ〜」と思って再び2つに折ったパンは、今、キッチンで乾いている。
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